仮設住宅があったJR姫路駅南側で震災当時を振り返る「青山1000人会」代表の岸岡孝昭さん=姫路市南駅前町(撮影・辰巳直之)
仮設住宅があったJR姫路駅南側で震災当時を振り返る「青山1000人会」代表の岸岡孝昭さん=姫路市南駅前町(撮影・辰巳直之)

人のつながり地域で生む 「居場所の種、まき続けたい」

 阪神・淡路大震災から4カ月後の1995年5月、姫路市内の玉手、新白浜、御国野、南駅前の4地区に、計約570戸の仮設住宅が整備された。

 「神戸から最も西の仮設」とも呼ばれた場所で、岸岡孝昭さん(78)=姫路市青山南3=は仲間とともに、被災者の声を丁寧に聴く傾聴ボランティアを続けた。活動を通じて気付いたのは「地域のつながりがあれば、災害が起きても孤立しない」こと。あれから30年。それを胸に今も、同市の青山地域でつながりを生み出す活動にまい進する。

 震災当日、姫路市水道局の係長だった岸岡さんは、壁にダンプカーが衝突したような音と揺れで目覚めた。テレビをつけると神戸の街が燃えていた。水不足が容易に想像できた。上司に応援を進言したが、取り合ってもらえなかった。