太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、石井順子は神戸市兵庫区会下山の家に住んでいた。父栄一は海軍に出征し、6歳の順子は母繁子との2人暮らし。石井家は湊川署(現兵庫署)の警察官たちと仲が良く、戦地から戻って住む場所がなかった署員らを自宅に下宿させていた。
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、石井順子は神戸市兵庫区会下山の家に住んでいた。父栄一は海軍に出征し、6歳の順子は母繁子との2人暮らし。石井家は湊川署(現兵庫署)の警察官たちと仲が良く、戦地から戻って住む場所がなかった署員らを自宅に下宿させていた。