18・07 長田区・西神戸センター街 被災地に元気と笑いを届ける毎年恒例のライブで、プロ野球阪神タイガースOBの掛布雅之さんらが登場し、所狭しと集まった人々が耳を傾ける。実行委員長の田中雅久さん(52)は「震災を機に商店街を去って行った仲間がイベントの盛り上がりを見て、『長田はまだやれるぞ』と地元に戻ってきてくれれば」と力を込めた。

17・53 東京・芝公園 キャンドルが並べられ、東京にも「つむぐ」の文字が浮かび上がった。黙とうの後、神戸のビーナスブリッジで毎年トランペットを奏でてきた松平晃さん(83)=川崎市=が「さくらさくら」など花にまつわる曲を披露した。「追悼の花をささげる気持ちで」。真っすぐな音色が寒空に響いた。
17・46 尼崎市・橘公園 市民有志が追悼の集いを開き、市内の犠牲者数と同じ49本のろうそくに火をともした。夕闇に「命」の文字がかたどられる。発生時刻から12時間後に約40人が黙とう。尼崎市立大庄中1年の田畑海翔(かいと)さん(13)は「尼崎でそれほど多くの人が亡くなっていたとは知らなかった」と驚いていた。
16・00 東灘区・中勝寺 神戸市佛教連合会が毎年開く追悼法要で、市内各所から集まった僧侶ら約60人の読経が響いた。中勝寺は、震災で築約200年の本堂が全壊したが、檀家(だんか)らの支援を受けて3年後に再建した。藤井俊宏(しゅんこう)住職(50)は「助けてもらって今がある。今後も地域の人のよりどころであり続けたい」とひと言ひと言かみしめるように語った。
15・29 中央区・神戸新聞社本社 防災活動に力を入れる県内の学生グループ「117KOBEぼうさい委員会」と、福島県の郡山女子大学短期大学部の学生が交流。福島の矢吹のぞみさん(20)は「東日本大震災から15年を迎えようとしている福島では語り継いでいくことへの関心が薄らぎつつある。30年限界説を乗り越えようとしている神戸に学びたい」と神戸側の学生に語りかけた。

14・46 三木市・市民活動センター 東日本大震災や能登半島地震の被災地で交流、支援を続ける市民団体「神戸・心絆(ここな)」が、宮城県名取市の被災者や三木市民らと計60人で約800本の竹灯籠に明かりをともし、黙とう。杉山正秀代表(65)は「つながり続けることは大変だが、その先に信頼が生まれ、減災につながる」
13・25 兵庫区・湊川隧道(ずいどう) 日本最古の近代河川トンネルをひんやりとした空気が包む中、約150人が紙コップに入れた発光ダイオード(LED)を囲み、黙とう。「湊川隧道保存友の会」の新谷和(のどか)会長(78)は「追悼行事が減る中、震災遺構として神戸の歴史を伝え続けたい」とあいさつした。

13・12 中央区・なぎさ公園 テントの下で身を寄せ合った小・中学生ら約20人が、震災の日に懐中電灯の下で生まれた男性を紹介する絵本「ぼくのたんじょうび」を、順番に朗読する。企画した「アトリエ太陽の子」(東灘区)主宰の中嶋洋子さん(73)が呼びかける。「この絵本を100年先まで残そう」
12・15 中央区・人と防災未来センター前 「神戸をこんなにすてきに復興してくれた人たちの思いを受け継いでいきたい」。県などが主催する追悼行事で、小中高生がメッセージを読む。県立西宮高校音楽科の生徒たちが演奏する「アベ・マリア」が澄んだ青空に響き、献花の列が続いた。
11・43 灘区・BBプラザ 縦糸を被災者が、横糸を支援者ら市民が紡ぎ、幅30センチの織物を伸ばしていくワークショップで、参加者が機を織る。2013年から国内外の被災地で続けており、現在作品の長さは約500メートルにまでなった。娘2人と参加した神戸市灘区の北川景子さん(45)は「災害や戦争が絶えない現在の社会で、皆さんとつながり、作品の一部になれるのは不思議」と話した。
11・00 中央区・三宮センター街 復興への願いを太陽に託したブロンズ像前で、店主らが黙とう。買い物客らも次々と白い花を手向けた。店主や地元の神社などでつくるKOBE三宮・ひと街創り協議会の久利計一会長(78)は「震災直後から市民が自ら動き、手を取り合ったからこそ、今の街がある。緊急時に備え、センター街を電気や水道を供給できる防災拠点にしていきたい」と話した。

10・32 長田区・長田区文化センター 地域の復興について語り合う集会で、高齢者ら約50人の参加者を前に、能登半島地震の被災地、石川県穴水町に移住した関西学院大4年の熊谷朋也さん(22)が現状を報告した。「道路も復旧していない。住民は存在が忘れられることを恐れている」

10・30 中央区・ラッセホール 県教職員組合主催の「追悼のつどい」が始まる。西宮市立生瀬小で教え子の女児を亡くし、防災教育に取り組んできた神田英幸さん(77)が講演。オンラインを含め約350人が耳を傾ける。神田さんは「兵庫の教職員は『震災を経験していないからわからない』とは言ってほしくない」と力を込めた。

10・05 中央区・国道2号 「ひょうごメモリアルウォーク2026」で約600人が震災の記憶をたどりながら復興した街並みを約4キロ歩く。当時、帰省していた西宮市の実家が全壊した神戸市中央区の86歳女性は、「街はすっかりきれいになった。あの日、胸の骨を折り、今も背中の痛みは消えないけど、生きていられることに感謝しています」と話した。

10・00 中央区・神戸市役所 「兵庫県南東部を震源とする地震が発生」。神戸市のシェイクアウト訓練が実施され、ひょうご防災ネットに登録する市民のスマートフォンに一斉に通知が届く。「まず低く、頭を守り、動かない」の行動を実践し、各家庭での備えを再確認した。
9・00 芦屋市・精道小学校 亡くなった児童数と同じ8回の鐘が響く。当時担任をしていた学級で児童3人が犠牲になった木下新吾校長(55)は「(遺族らの)話を聞いたり(追悼式典で)花を手向けたりする取り組みを続けることが、生きたくても生きられなかった方への祈りにつながる」と語りかけた。
8・30 東灘区・コープこうべ生活文化センター 震災直後、遺体安置所にも使われたセンターには、敷地内に鎮魂碑があり、集まった職員約40人が黙とうした。岩山利久組合長(63)が「1月17日はこれからも特別な日であり続ける」とあいさつ。一人一人が思いを込め、碑に献花した。

6・00 芦屋市・西法寺 地域住民ら約50人が、代わる代わるドラム缶の鐘を打ち鳴らす。「ゴン、ゴン」。冷えた空気に鈍い音が響く。炊き出しや仮設の風呂などで体と心を温め合った日々を呼び覚ます。前住職の故上原泰行さんの妻照子さん(74)は「寒い中、被災した者同士、ドラム缶の火を囲んで励まし合ったことが忘れられない。この音を聞くと、自分が生かされていることを実感する」

長田区・御蔵北公園 「1・17」と並べたろうそくを前に、約100人がこうべを垂れた。黙とう後、僧侶が御菅地区の犠牲者128人の名前を読み上げる。自宅が全焼した木山美紀子さん(50)は、「震災の2日前にあった成人式で着た振り袖を、母が持って避難してくれたんです。今年それを長女が成人式で着たのを見て、あの日を思い出しました」と話した。
長田区・六間道商店街 31年間で景色が一変した商店街に、地域住民らが紙袋で手作りした灯籠が並ぶ。「愛」や「幸せになろう」などとメッセージが浮かび上がり、児童十数人を含む約70人が黙とうした。福祉施設職員の片山浩教(ひろゆき)さん(62)は「自分の言葉が並ぶことでつながりを感じ、思いがつながる」とつぶやく。

東灘区・本山第一小学校 校庭に静寂が広がる。「黙とうの会」に集った児童や住民ら約200人がろうそくを手に輪をつくり、祈る。会を運営するボーイスカウト神戸第54団の田中佑樹さん(42)は当時、同小6年。あいさつで「毎日震災について考えることはできないが、今日は思いをはせ、地域のつながりを考えたい」と呼びかけた。

淡路市・北淡震災記念公園 パチパチとたいまつが音を立てる中、約250人の住民らが目を閉じた。黙とうの後、「花は咲く」を合唱する声が、星空に響く。10年ほど前に淡路市に移住した小松賢二さん(44)は、この地で起きた災害を少しでも自分事として考えてほしいと思い、眠たがる小学3年の風花さん(8)を連れて来た。賢二さんは「震災のあった時刻の暗さや寒さを感じてほしい」と真剣な表情で話した。

西宮市・西宮震災記念碑公園 市内で亡くなった1086人の名前が刻まれた慰霊碑がライトに照らし出され、集まった人たちが黙とうをささげた。市民サークルの親友を亡くした保育士の宇野妙子さん(83)は「震災さえなければ今もつきあいが続いていたのに。ここに来れば会えたような気持ちになる」と話した。

5・35 兵庫区・川池公園 住宅街にある公園の一角で、慰霊碑「いのちの碑」に人々が合掌する。近くに住む湊川中1年の中石翔大(しょうた)さん(13)は、毎年追悼行事に訪れ6年目。今年は友人に声をかけ3人で訪れた。「神戸市民としてこの日は絶対に忘れてはいけないと思って」

5・32 長田区・カトリックたかとり教会 聖堂に住民や信徒、僧侶らが集い、それぞれの手の中でろうろくの火が細く揺れる。「31年が経過したが、私たちは震災を一生抱えて過ごすことになると思う」と神田裕神父(67)は語りかける。読経にほら貝の音、聖歌が響く。宗教を超えた祈りが重なる。

5・29 長田区・大国公園 あの日、周辺が大火に見舞われた公園に、静かに人々が集まってくる。震災後に須磨区から公園近くに移り住んだ会社員脇壮一さん(42)は、学校で震災を学んだ長女の小学4年生寿寧(すずね)さん(9)から慰霊式に行きたいと言われ、付き添った。当時小学校5年生だった脇さんは「自分の被災した時と同じ年頃の娘が来たいと言ってくれてうれしい」と語った。

5・25 長田区・日吉町ポケットパーク 震災後に統合して開校しただいち小の児童らが、灯籠に火を入れていく。吐く息は白い。元小学校教諭の蒔田由紀子さん(76)は、統合前の旧千歳小で受け持った当時28歳の教え子を亡くした。「生きていれば、もう59歳。気配りのできる、とても優しい子だったので、きっとすてきな大人の女性になっていたと思います」

5・10 灘区・琵琶町公園 61人の名前が彫られた慰霊碑に照明が向けられ、「あの刻(とき)を忘れない」の文字が暗がりにくっきりと浮かぶ。地域住民がぽつりぽつりと集まり、約10人が碑を囲んだ。近くに住む中川清司さん(73)は「見違えるほどきれいな街になったからこそ、私たちが復興の過程で経験した苦労などを伝えていかなければいけない」と話した。


























