島田叡元知事の弟昇さん(右端)の家族(1953年ごろ)。長女の芙美子さん(右から2番目)はこのころ、沖縄戦や伯父のことに関心を持ち始めたという(岩間芙美子さん提供)
島田叡元知事の弟昇さん(右端)の家族(1953年ごろ)。長女の芙美子さん(右から2番目)はこのころ、沖縄戦や伯父のことに関心を持ち始めたという(岩間芙美子さん提供)

 終戦から78年。戦争体験者やその家族の中にはつらい記憶を封印し、思いを語らなかった人も多くいる。沖縄戦のさなか、住民保護に奔走した当時の知事、島田叡(あきら)の家族もそうだった。残された妻や娘はなぜ、口を閉ざしたのか。島田のめい、岩間芙美子さん(84)=東京都武蔵野市=がその一端を知れる貴重な記憶を語ってくれた。

■「自分が行かなければ」

 島田は旧三高(現京都大)野球部時代の先輩の妹、美喜子さんと結婚。2人の娘に恵まれた。1945年の沖縄赴任時、美喜子さんは36歳、長女黎子(れいこ)さんは15歳、次女幸子さんが14歳だった。