「生きて親元に帰りなさい」。民間人を含む20万人以上が犠牲になった太平洋戦争末期の沖縄戦で、女子学徒隊にそう訓示し、隊を解散した小池勇助軍医の追悼に、地元沖縄と故郷の長野県佐久市が取り組んでいる。同じ沖縄戦で住民保護に尽くした島田叡元知事の出身地・神戸市の有志も関心を持ち、交流を呼びかけた。(津谷治英)
■ふじ学徒隊、25人のうち22人が生存
小池軍医は1890(明治23)年、現在の長野県佐久市野沢で生まれた。
旧制中学時代、伯父の医師の元で修業。金沢医学専門学校(現金沢大学医学部)で内科、陸軍軍医学校で眼科を学んだ。退役後、故郷で眼科医院を開いた。