かつて神戸を本拠地とし、阪神・淡路大震災が発生した1995年にリーグ優勝、翌96年に日本一を遂げたプロ野球のオリックス・ブルーウェーブ。投打の中心的存在だった元エース星野伸之さん(57)=西宮市=は、今も当時の熱気が忘れられないという。本拠地やチーム名は変わっても、「がんばろうKOBE」の合言葉は今も多くの人々の心に深く刻まれている。
29年前の1月17日は、愛媛県で自主トレーニング中でした。宿泊していた古い旅館も結構揺れましたが、そんな重大なことになるとは思わなかった。朝9時ごろにテレビをつけると、神戸・長田の火災現場が映っていて震源地が兵庫の方だと知りました。
その日、妻と2人の子どもは西宮市内の妻の実家に泊まっていました。後で無事だと分かるのですが、最初は連絡がつながらず、これはえらいことになったと思った。自宅へ向かいましたが、夜中に明石で大渋滞にはまり、1時間に100メートルぐらいしか進まない。引き返して翌日出直しました。
当時は選手会長として3年目。2月のキャンプにはみんなが集まりましたが、野球をやれるのか、やっている場合かという思いでしたね。そんな中、「こういうときだからこそやるぞ」というオーナーの一言で、皆が「絶対にやる」という意識に変わった。ただ震災直後ということもあり、キャンプでしっかりできたという実感はありませんでした。
選手会として寄付金を集めたが、野球で頑張るしかなかった。勝たなきゃいけなかった。仰木彬監督は「自分たちがやれることをやろう」と話していました。先発投手陣は、時間が許す限りファンにサインをするよう努めた中で、被災された方から「頑張ってくださいね」と言われることもありました。