終戦2日後の1945年8月17日。旧満州国(中国東北部)に農業移民として送り出された出石郡高橋村(現豊岡市但東町)の「高橋村満州開拓団」の人々は、ソ連軍の侵攻や暴徒の襲撃に追い詰められ、川に身を投げて集団自決した。家族6人で自決を図り、1人生き残った山下幸雄さん(92)=同市但東町=は、その最期を「地獄絵図」と振り返る。「何があったか伝えなければ、団員が浮かばれない」と、病身をおして語り続ける。(阿部江利、大高 碧)
「人は死ぬ前に大声を出すと聞いたが、400人近くの最期の声は、声というよりゴオォォという音だった」
今年8月、同市で開かれた講演会。山下さんの話を聞いた約30人は80年前の現場を想像し、息をのんだ。
昨春肺炎で入院し、酸素吸入が欠かせないが、長男文生さん(65)のサポートを受け各地で語り続ける。
旧高橋村は京都府との境の山あいにある。周辺の村と比べ1戸当たりの田畑は狭く、借金を抱えた家が多かったという。国が食糧増産を進める中、約540世帯2600人から103世帯476人を分村し、開拓団を結成した。
旧満州国の浜江省蘭西県に入植したのは44年3月。すでに戦局は悪化していた。45年8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を破り満州に侵攻する。
就農で兵役が免除されるはずだった18~45歳の男性は「根こそぎ動員」され、終戦をはさむ3日間、女性と子ども、高齢者ばかり約400人がほぼ飲まず食わず、不眠の逃避行をした。
そして、ホラン河を望む開拓地近くの丘に追い詰められた。
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上流で大雨が降り、川は増水していた。
「午前10時を期して、大兵庫開拓団、全員自決!」。そんな号令が聞こえた。読経が響き、花を供え合う中、入水が始まった。
ある母親は幼子の鼻と口を押さえ続けた。ある親は「死にたくない」と逃げ回る子を抱きかかえ、ひもでくくって川に投げ入れた。15歳くらいの男の子は「死んでくれえや、死んでくれえや」と妹ら2人の頭を交互に水につけた。
「親子だからこそ殺せた」。暴徒に命を奪われるくらいなら、家族の手で楽にしてあげたい。
父に促され、12歳の山下さんは川べりに立った。
16歳の兄と背中合わせにゲートルでくくられ「天皇陛下、バンザーイ」と叫んだ途端、丘から川に落とされた。