公判ルポ
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 法廷に現れたのは、温厚そうな中年男性だった。30年以上連れ添った妻=当時(70)=に対する殺人と死体遺棄の罪に問われた清水成洋(しげひろ)(63)。5月25日、神戸地裁で裁判員裁判の初公判を迎えた。「間違いありません」。罪状認否で淡々と静かな声で罪を認め、肩をすぼめて座る。そのたたずまいと結びつかない凶行に駆り立てたものは何か。

 公判から事件の背景をたどる。

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 2025年8月2日の夜、清水は西宮市の自宅マンションで、リビングにいた妻雅子の首をタオルで絞めて殺害した。遺体を前もって用意した寝袋に入れ、キャリーワゴンで車に運び込み、淡路島へ渡ると、洲本市の山中にある県道脇ののり面に遺棄した。検察官は「事前の計画にのっとって敢行された強い殺意に基づく犯行」と指摘した。

 清水は淡路島の出身だった。農業高校を卒業し、食品加工会社で働いていた28歳の頃、雅子と出会った。8歳上の彼女は夫と折り合いが悪かったこともあり、2人はやがて交際を始める。1995年の阪神・淡路大震災を機に、清水が暮らしていた公営住宅で同居するようになった。

 清水は03年、41歳でマンションを購入し、44歳で正式に夫婦となった。交際から10年以上たって結婚した理由を公判で問われ、将来の年金手続きを見据え、雅子から求められたことがきっかけだったと明かした。単なる利害関係でなく、自分たちは「愛し合ってもいた」からこその決断だったと。

 ただ、清水には一つ、心配事があった。「彼女の荷物が多い」。雅子には収集癖があった。インターネットで購入した日用品や中身の分からない箱類、黒いゴミ袋、チラシ…。公営住宅にいた頃からの悩みだったが、マンションに引っ越せば4LDKと広くなると楽観していた。

 入居して5~6年後に雅子の洋室がごみ類であふれ、次第に他の部屋にも広がった。ごみで窓際のカーテンは膨らみ、和室のふすまは圧迫されて曲がった。清水は「(身長177センチの)私より上」まで積み上がったとし、自宅を「ごみ屋敷」と表現した。

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 清水が公判で振り返った。「せっかく新しいマンションなんやから、片付けてくれ」。懇願しても雅子は「分かった」と言いつつ、取りかかろうとしない。業を煮やし、清水が片付けると「『私のものや』と発狂して」包丁を手にした。

 「10回ぐらい突き付けられた」。寝ている間に刺されないか不安を抱き、時には外へ逃げだしながらも、警察には一度も相談しなかった。「警察沙汰になると、彼女がかわいそうやなって。いつかは治るやろうな、とも思っていた」

 雅子は健康管理も放棄するなど心身に異常を来し、家事はほとんどしなくなった。浴室や台所はごみで立ち入れない。清水は検疫関係の会社に勤めながら、スポーツジムで風呂を済ませ、弁当を買って帰るようになった。自身は寝室で、妻はリビングで過ごす。会話もなくなり、「家庭内別居状態」になった。

 ごみは増えていく。(敬称略)