神戸・新開地で100年にわたって営業を続けてきた「大和家ベーカリー」がこの夏、ひっそりと閉店した。繁華街を訪れる人たちや住民、労働者らに愛され、阪神・淡路大震災では、発生当日にパンを提供。新型コロナウイルス禍も乗り越えたが、3代目の山口仁(ひとし)さん(60)が、体力的な負担などを理由にのれんを下ろした。(尾仲由莉)
■3代目体力の不安で決断
1926年、仁さんの祖父、山口楢松(ならまつ)さんが現在のJR神戸線の高架付近で開店した。神戸のパン店で修行を積み、屋号の大和は出身地の奈良県から採ったという。
当初は、1個50銭のあんパンにジャムパン、クリームパンなど、シンプルな品ぞろえ。店頭のショーケースに並べるスタイルは、閉店まで変わらなかった。
太平洋戦争で楢松さんが出征し、一時休業した。復員後、神戸市兵庫区新開地5に移転して再開。メニューを少しずつ増やし、サラダフライやツイストドーナツ、あんフライなどのあげパン類が人気を集めた。
楢松さんが亡くなると、仁さんの父、孝行さんが継いだ。当時は、飲食店などが深夜まで営業しており、日付が変わった午前2時ごろまで店を開けていた。仁さんも交代で厨房(ちゅうぼう)に立ち、常に揚げたてを提供した。
◇
95年1月17日の阪神・淡路大震災では、倒壊を免れた店舗で、前日に仕込んだパンを販売。だが、ガスが使えず、その後は40日ほど休業した。「片付けも済んで食材も調達できたのに、パンを焼けないのがもどかしかった」と仁さんは振り返る。
コロナ禍では、周辺の映画館や劇場が閉まる中で、休まずにパンを焼き続けた。「せっかく来てもらって、パンなかったら申し訳ないやん」が孝行さんの口癖だった。
2022年2月、孝行さんが亡くなり、仁さんが母と妻とともに切り盛りするようになった。コロナ禍の影響とともに、周辺のにぎわいも減って廃棄する商品が増えていたが、通い続けてくれる常連客への感謝と、歴史の重みを感じながら店を続けた。
コロナ禍が明け、客足も戻ってきたが、1人で担当するパン焼きが体力的にしんどくなり、創業100年のタイミングで閉店を決意。「自分自身も寂しいし、お客さんに申し訳ない気持ちもある。ただ、60歳になって、パン職人以外の人生を見てみたくなったのもあるんです」
◇
営業最終日の今年8月31日。いつも通り午前9時に店をオープンすると、昼過ぎに完売した。急いで焼き直して営業を再開。午後8時40分、看板の電気を落とした。
最後の客は、近所に住むパート女性(59)で、袋いっぱいの「ソフトフランス」を購入。レタスやハムを挟んで食べるのが好きだったといい、「油っぽくないから、いくらでも食べられる。他に代えられへんのに、どうしたらえんやろ」と残念がった。
点々と生地が付いたコックコートを仁さんが脱いだ。「今夜は、ビールがいつにも増しておいしいだろうな。早く寝たいです」と笑う。
空になったショーケースの上には、常連客らからの花束が並んでいた。
























