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横浜とPL学園による死闘を伝えた当時の神戸新聞夕刊紙面
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横浜とPL学園による死闘を伝えた当時の神戸新聞夕刊紙面

 1998(平成10)年8月20日木曜日、私は兵庫県西宮市の甲子園球場にいた。第80回全国高校野球選手権大会第15日は準々決勝4試合が予定されていた。

 夕刊時間帯は試合の途中経過を追う「経過戦評」の執筆も運動部記者の大事な仕事だった。締め切りまでに終わらない試合は「勝った、負けた」という見出しが取れないため「一回に先制」「五回に逆転」など、その時点でのおおまかな見出しが立つように短い原稿を送る。

 紙面が各家庭に届く頃には試合の結果は出ている。スマホなどのネット環境が普及した今、途中段階での詳報はほとんど必要ないのだろうが、当時はそれが当たり前だった。

 第1試合のPL学園(南大阪)-横浜(東神奈川)のプレーボールは午前8時30分。締め切りまでには余裕で試合が終わるだろう-と思いながらスコアをつけていた。

 PLが二回裏に3点を先制すると、四回表に横浜が2点をかえす。すかさずPLが追加点を挙げれば、横浜が五回表に追いつく。七回裏にPLが1点を勝ち越すと、八回表に横浜が再び追いつく。「延長になるとまずいな」と思った。ワープロを開いて「経過戦評」を打ち込み始める。

 試合は九回を終えても決着がつかず、延長戦へ。十一回表に横浜が1点を挙げて初めてリードを奪うと、今度はPLが追いつく。十六回表に横浜が再び1点を勝ち越せば、またもやPLが追いすがる。

 当時使っていたスコアシートは十二回までしか記入欄がない。裏面も使いながらスコアをつけ続けるが、その間も「横浜勝ち越し」「PL同点に」と何度も原稿を差し替える。もう訳が分からない。誰がヒットを打ったのか。交代したのは誰だ。原稿をチェックする暇もない。そもそも、この試合はいつまで続くのか。この頃からの記憶があまり残っていない。

 延長十七回表、横浜が2点を勝ち越した。十八回まで同点なら延長引き分け再試合になる。とにかく、もうすぐ終わるのだろうが、まだ3試合も残っていると思うと途方に暮れた。十七回裏、PLが無得点に終わり、ゲームセット。高校野球としては異例の3時間37分に及ぶ激戦だった。私も力尽きた。

 会社に戻ると、「すごい試合やったな」「ええ試合やったわ」と声を掛けられたが、「???」とすぐには理解ができなかった。スコア記入と経過戦評の執筆・送信に追われた身としては「ひたすら長くて観戦取材に疲れた試合」としか思えなかったのだ。

 あれから23年。あの日、マウンドで250球を投げ抜いた横浜の松坂大輔投手(西武)のプロ最後のピッチングをテレビで見た。松坂大輔といえば…。高校野球やプロ野球、メジャーリーグ、WBCなど、それぞれにいろんな思い出があるだろう。私にとってはあの暑い夏、仕事に振り回されて延長十七回の死闘を楽しめなかったことが最も心に刻まれている。「球史に残る名勝負」として紹介されるたびに「なんてもったいないことをしたのだろう」と悔い続けてきた。

 あの試合に「逆転」のシーンはなかった。どちらかが「追いついて」、どちらかが「勝ち越し」の繰り返し。主導権を握れそうで、握れない。執念と執念のぶつかり合いが今でもファンを魅了するのだろう。それも松坂大輔という存在があったからこそ。長くけがに苦しんだとはいえ、彼が歩んだプロ入り後のサクセスストーリーが、「延長十七回」をいっそう輝かせてきたのだと思う。

(大原篤也)

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