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今季のここまでのプレーを振り返り、胸中を語る横浜FCの三浦知良(撮影・鈴木雅之)
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今季のここまでのプレーを振り返り、胸中を語る横浜FCの三浦知良(撮影・鈴木雅之)
浦和レッズ戦の後半ロスタイムに交代出場した横浜FCの三浦知良(中央)。今季のJ1リーグで出場したのはこの試合のみで、時間もわずか1分にとどまっている=3月10日、埼玉スタジアム
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浦和レッズ戦の後半ロスタイムに交代出場した横浜FCの三浦知良(中央)。今季のJ1リーグで出場したのはこの試合のみで、時間もわずか1分にとどまっている=3月10日、埼玉スタジアム
今季のここまでのプレーを振り返り、胸中を語る横浜FCの三浦知良(撮影・鈴木雅之)
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今季のここまでのプレーを振り返り、胸中を語る横浜FCの三浦知良(撮影・鈴木雅之)

 プロサッカー選手として36年目。神戸では33歳から38歳の4年半を過ごした。三浦知良、54歳。弱肉強食、世代交代が当たり前の世界で、元日本代表FWは今なお愚直にボールを追う。かつてコラムを連載していた神戸新聞の紙齢4万4444号到達に際し、インタビューに応じてくれたので聞いてみた。「カズ」であり続ける意味って何ですか。(小川康介)

 「僕の職業ですからね、サッカーは。続けられる限り続けたいし、理由なんかないですよ、正直言って。情熱が持てなければピッチに立つべきじゃない。情熱がある限りはグラウンドに立っていいと思っていますから。元サッカー選手にならないようにずっと頑張りたい。練習も、練習試合も、本番も、ピッチに立っただけで幸せですよ。一つでも自分が思い描いていたようなプレーができたら、それが幸せですよ。それを一つでも増やしていけたらなぁ。情熱に陰り? ないですね。ますます毎日『全力少年』って感じですね(笑)」

 -今季、Jリーグ1部(J1)での出場は1試合、1分だけ。3月の浦和レッズ戦で最年長出場記録を54歳12日に更新したが、J2降格が決まった横浜FCの中で戦力になれていない自分がいた。

 「これではプロとして駄目。ここでやるのがいいか、僕を必要としてくれて、少しでも長く試合に出られるようなチームでやるべきなのか。葛藤は常にありますよ。ならやめますかって言われたら、そうじゃない。常に試合に出られるように全力を尽くして準備をしている。毎日休まず、単純な作業をずっと」

 「僕を雇ってくれるかは分からないけれど、サッカーのいいところは、Jリーグで駄目でも地域のリーグやJFLがあり、世界中にプロリーグの下のカテゴリーがある。哲学を持ってやっているチームなら、カテゴリーが『J』じゃなくてもいい。プロ選手じゃないと、サッカーをやっちゃいけないっていうのはないじゃないですか。サッカーは世界的で自由なんです」

 -横浜FCに移籍して16年、来年2月には55歳になる。今オフは移籍の可能性も取り沙汰されている。

 「自分を利用して、必要としてくれるところがあれば、そういうところに行ってやりたいなという気持ちは常にある。でも、それが大変だということもよく分かっている。Jと違うところに行けば環境が悪くなるし、ここ(横浜FC)にいればけがの心配もなく、けがをしてもドクターや施設がそろっている。病院との連携もしっかりしている。グラウンド、クラブハウス、食事面、全てカバーできる」

 「ベテラン選手はJ3やJFLの方が体の面で対応が難しいんじゃないかな。どこに行っても大変。出場数は増えるかもしれないけど、体の負担も増える。年齢を重ねると、そういう部分でみんなやめていくと思うんですよ。自分はそういう面も含めてやれる限りやりたい。これが自分の生きている意義ですよね」

 「ルヴァン・カップはもうちょっと出場時間があったけど、先発が今年一回もないんですよね。そういう意味ではがっくりしている。この年齢でやれているだけいいんじゃないかと思われるし、試合に出る、出ないとか気にしていないんじゃないか、楽しみながらやっているんじゃないかと思われがちですけど、それは全くない。常に毎試合出たいと思っているし、出るためにはどうすればいいかを考えている」

 「出られない悔しさは昔と変わらないですよ。だからといって気持ちが落ちたり上がったりっていうのは、どんどんなくなっていますね。自分でやるべきことだけをやっていかなきゃならないっていうか、他のことを心配している時間もない」

 「今年、まだ(横浜FCが)下平監督の時に、監督が全選手とマンツーマンで面談をしたんですよ。ウイークポイントとストロングポイントを聞かれた。ストロングポイントだったらスピードとか、高さとかいろいろあるじゃない。俺ストロングポイントって言われた時に、若い時みたいにドリブルもないしな、決定力って言っても試合に出てねえしなぁと思って、何て言ったと思う? 『カズであることです』って言った(笑)」

 -長いサッカー人生の通過点にヴィッセル神戸があり、今も年に数度、神戸の街を訪れ、英気を養う。

 「思い出があり過ぎてねぇ。阪神・淡路大震災の時はセリエAのジェノアにいて、イタリアでニュースを見た。ショックでしたね。その後復興していく姿に関わったんだけど、2001年にヴィッセルに移籍した時は震災から6年後か。今思えば6年しかたっていなかったんだなと。完全に復興したように見えていた。街並みはね。すごく被災地のみなさんの努力があってね」

 「冬の季節を神戸で4回ほど過ごし、大丸でカフェをして、クリスマスに向けてルミナリエの準備が進んでいく様子をずっと見ていた。カフェといえば、おととし行った時も僕が置いていったゴッドファーザーのCDをかけてくれたの。店員さんに『僕が来たらかけろって言われるの』って聞いたら、『はい』って。あれから15、16年たっているのにね」

 「ギョーザのひょうたんが閉店、復活した時の記事で、通っていた自分の名前が出た。ああいうのが載るとめちゃくちゃうれしいですよね。自分も神戸では地域密着でやってきて、歴史の中に自分がいるというか、神戸で生きたんだなという証しみたいで」

 -常にメディアに追われる存在。その中で地方紙には思い入れがある。

 「申し訳ないんですけど、若い時というのは自分が取り上げられるなら読売新聞の方がいいんじゃないか、朝日新聞の方がいいんじゃないかと思っていた。ただ、歴史を積み重ねていく中で、自分がいた場所で、損得とは違う価値観というものを見いだせた。僕は静岡出身なので静岡新聞になじみがあるし、神戸にいたことでこうやって神戸新聞にちょくちょく出させてもらっている。自分がいた場所で気にしてもらえる。おこがましいですけど、みんなの誇りになれるというのはいいなと思います」

 「Jリーグは立ち上げから地域密着、地域貢献というビジョンでやってきて、どこか地域の新聞社と似ていると思うんですよね。地域の人に支えられ、応援してもらい、情報をあてにして、地域のみんなが動いていくっていうね。勝ち負けもそうですけど、スポーツの大切さを共に伝えていけたらいいんじゃないかなと思います」

【みうら・かずよし】1967年2月26日、静岡市生まれ。15歳で単身ブラジルに渡り、名門サントスなどで活躍。94~95年にはイタリア・セリエAのジェノアに在籍した。日本代表のエースとして君臨し、国際Aマッチ89試合出場、歴代2位の通算55得点。Jリーグでは93年に最優秀選手賞、96年に得点王に輝いた。2001年から05年7月までヴィッセル神戸でプレーした後、横浜FCに移籍。J1最年長出場記録を持ち、J2時代の17年に50歳14日で得点した際には「リーグ戦でゴールを決めた最年長のプロサッカー選手」としてギネス世界記録に認定された。05年から神戸大使。177センチ、72キロ。

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