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1935年の第17回大会決勝で神戸一中(兵庫)は2-1で天王寺師範(大阪)を退け、優勝した(兵庫県サッカー協会70年史より)
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1935年の第17回大会決勝で神戸一中(兵庫)は2-1で天王寺師範(大阪)を退け、優勝した(兵庫県サッカー協会70年史より)
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 28日に開幕する全国高校サッカー選手権は100回の節目を迎える。兵庫勢は草創期に隆盛を誇り、戦後も多くの名選手を送り出してきた。大会を前に、これまでの歩みやプロに羽ばたいた選手の思いを紹介する。

     ◇

 第99回までの大会史で、最多の優勝回数を誇る学校はどこか。それは、日本サッカー発祥の地とされる神戸の御影師範(現神戸大)である。

 前身の日本フートボール優勝大会として始まった1917(大正6)年の第1回大会から7連覇。全国中等学校蹴球選手権と改称されてからも、31(昭和6)年の第14回大会までに計11度も頂点に立っている。まさに無敵だった。同校蹴球部は部史に「御影師範の存在を無視しては、日本のサッカーを論ずることはできない」と記す。

 神戸大出身で、御影工高(現神戸科技高)サッカー部監督などを歴任した一北四郎さん(83)は「神戸一中(現神戸高)とのライバル対決が大きかった」と言う。

 神戸一中は、中学より2年年長で体格に勝る御影師範と渡り合うため、ショートパス戦法に活路を見いだした。第8回大会に宿敵御影師範を破って8連覇を阻み、初優勝を飾った。

 一方、御影師範で活躍した卒業生が先生として付属小などに赴任し、小学校からボールを蹴る世代が出てきた。御影師範付属小から神戸一中に進んで腕を磨いた選手に、戦後初の日本代表監督を務めた二宮洋一氏、36(昭和11)年のベルリン五輪で優勝候補のスウェーデンを破った「ベルリンの奇跡」でゴールを決め、その後戦火に散った右近徳太郎氏らがいる。

 御影師範蹴球部は、36年の姫路師範との統廃合などにより解散した。歴史の表舞台から姿を消して久しいが、草創期の栄光は兵庫、そして日本サッカーの源流となった。

 一北さんには、心に残るエピソードがある。御影工高を初の全国選手権に導いた77(昭和52)年度の第56回大会。時の校長から、御影師範のOB数人が学校に押しかけてきたと聞いた。

 御影工高があった地には、かつて御影師範が存在したという。「われわれが頑張ってきたグラウンドなのだから、しっかりバックアップしてやってくれ」-。そう言っていたのだそうだ。

 組織は違えど、「御影」を冠するチームが自分たち以来、半世紀ぶりに全国舞台に名を刻む。「それも誇らしかったんでしょう」と一北さんはほほ笑んだ。(山本哲志)

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