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現役引退の記者会見で花束を手に笑顔を見せるヤクルト・坂口=30日、神宮(代表撮影)
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現役引退の記者会見で花束を手に笑顔を見せるヤクルト・坂口=30日、神宮(代表撮影)
オリックス時代の坂口智隆=2012年5月、ほっともっとフィールド神戸(撮影・辰巳直之)
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オリックス時代の坂口智隆=2012年5月、ほっともっとフィールド神戸(撮影・辰巳直之)

 会えばいつも憎まれ口をたたかれた。「いつになったら神戸新聞の1面に載せてくれるんですか?」「記録達成したのに記事が小さすぎますよ!」。ちゃめっ気なのか、照れ隠しなのか。世間ではベテランと呼ばれるようになっても、当方に見せる素顔は無邪気な少年のままだった。

 20年の現役生活にピリオドを打つプロ野球ヤクルトの坂口智隆外野手。出会いは、神戸国際大付高1年生の3月だったから、かれこれ22年近く。彼がドラフト1巡目で近鉄入りするタイミングで、高校野球からプロ野球担当になったこともあり、付き合いが深くなった。

 1年目の2003年、地元神戸で放ったプロ初打席初安打を記者席で見届けたが、天を仰いだのは第2打席だ。ジャストミートした打球は美しい放物線を描いてライト後方に伸びた。スタンドイン寸前のフェンス際で相手右翼手がファインプレー。デビュー戦で一発を打っていれば、おそらくその後の野球人生は違った。少なくともプロ4年目まででヒット4本という崖っぷちには立たなかったと思う。

 04年の球団合併でオリックスに移籍後、背番号52を付けた。米大リーグに移籍したイチローさんの「51」との連番。春のキャンプでは、故仰木彬監督から「イチロー2世」で売り出された。だが、本人には荷が重かった。キャンプ地・宮古島での練習後、食事に誘うと、こうこぼしていた。「イチローさんと僕では次元が違うんです」

 ファーム暮らしが続いていた正念場の5年目、シーズン終盤の一戦で決勝三塁打を放った。来季を見据えて与えられたチャンス。結果を残さなければ、先はない。「やっとチームのためになれた」。試合後、京セラドーム大阪のベンチ裏で涙を流していた。それを分岐点に翌08年、レギュラーに定着。シーズン150安打を放ち、ゴールデングラブ賞にも輝いた。

 メディアに対して口数が少なく、不器用なタイプだったが、ファン思いの面を秘めていた。09年オフ、背番号52から9に変更が決まった際は表情が浮かなかった。「ほんまは変えたくないんです。52番のグッズを持ってくれているファンにまたお金を使わせることになってしまう」

 16年にオリックスからヤクルトに移籍し、当方が現場記者を離れてからも、神戸での自主トレに合わせ、年に1度はグラスを交わした。数年前は「引退したら神戸新聞に雇ってもらおうかな」「2000本(安打)打ったら考えるわ」と、酒席の冗談で盛り上がっていたが、いよいよ来るべき時が来た。

 引退会見した9月30日深夜、LINEでメッセージが届いた。

 「高校の頃からありがとうございました」

 ぶっきらぼうな彼には珍しく、律義な文面だった。16歳の時から見守り続けて22年。長い間、楽しませてもらった。こちらこそ、ありがとう。(松本大輔)

     ◇

 坂口智隆選手は3日のDeNA戦(神宮球場)で内川聖一内野手、嶋基宏捕手とともに、引退セレモニーに臨む。

【さかぐち・ともたか】 1984年7月7日生まれ、38歳。神戸市生まれ。明石市立望海中から神戸国際大付高に進み、1年秋からエース。2年春には同校初の甲子園出場に導く。2002年ドラフトで1巡目指名を受け、近鉄入り。オリックスを経て16年にヤクルト移籍。11年に最多安打。ゴールデングラブ賞4度(08~11年)。通算1525安打。

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