スポーツ

  • 印刷
三原舞依
拡大
三原舞依
フィギュアスケート・GPファイナルの女子フリーで演技を終え、観客の声援に応える三原舞依。初出場優勝を果たした=10日、イタリア・トリノ(共同)
拡大
フィギュアスケート・GPファイナルの女子フリーで演技を終え、観客の声援に応える三原舞依。初出場優勝を果たした=10日、イタリア・トリノ(共同)
フィギュアスケート・GPファイナルの女子で初出場優勝を果たし、日の丸を広げる三原舞依=10日、イタリア・トリノ(共同)
拡大
フィギュアスケート・GPファイナルの女子で初出場優勝を果たし、日の丸を広げる三原舞依=10日、イタリア・トリノ(共同)

 どんな時も、心は折れなかった。10日(日本時間11日)にイタリア・トリノで行われたフィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルで初出場初優勝を飾った女子の三原舞依(23)=シスメックス、甲南大大学院=は「この場所でスケートができて幸せ」と感慨をかみしめた。全身の関節が痛む難病や五輪代表落選など、幾多の試練をくぐり抜けてつかんだ金メダルだった。

 ショートプログラム(SP)2位からフリーで逆転し、日本女子4人目の偉業を達成した。「立っているのがやっと」という体力の限界で最後のジャンプこそ乱れたが、耐えた。五輪2大会に出場した国際スケート連盟(ISU)名誉委員の平松純子さん(80)=神戸市東灘区=は「疲れた中でもスピンの美しさや表現の細やかさがあった。集中力とそれを出せる精神力がすごい」と称賛する。

 県芦屋高校1年時に出場したジュニアGPファイナルで両膝に激しい痛みを感じ、難病「若年性特発性関節炎」と診断された。ISU理事としてスペインの会場にいた平松さんも「心配になるほど痩せていた」。入院や車いす生活を経て4カ月後に氷上に復帰。病と付き合いながらも国際舞台で飛躍を遂げたが、3季前は体調を崩して全試合を欠場した。

 またリンクに戻れるのか-。高校生活を支え、今も連絡を取り合う県芦屋高校の浅堀裕教諭(60)は、静養中に三原が送ってきた不安げなLINE(ライン)を覚えている。「だいぶ落ち込んでいて、頑張れとはよう言わんかった。ただ『絶対に光は差してくるから』と」

 そして、三原は再び復活した。北京五輪出場を目指した昨季は全日本選手権4位で五輪代表入りを逃したが、「悔しさをバネにもっと強いアスリートになりたい」(三原)と逆境を乗り越えた。

 学業との両立にも全力だ。今春進学した甲南大大学院では、1年で必要単位を取得し、来年は修士論文に充てるという。研究は人の心理がテーマ。大学の卒業論文も「気持ちのコントロール」が大きなテーマだったように、今回も三原自身の人生経験が深く関わってくるのだろう。

 かつて高校2年の三原は「病気になったからこそ強くなれたこともある」と前を向いた。休養を経て大学院生になった三原は「ファンの方からの『舞依ちゃんのスケートが見たい』といったお手紙や、周りの人たちの支えが大きかった」と感謝した。観客の心を揺さぶる不屈のスケーター。優勝という最高の知らせに、浅堀教諭は「夢のよう」と喜んだ。(山本哲志)

スポーツ阪神
スポーツの最新
もっと見る
 

天気(10月27日)

  • 23℃
  • ---℃
  • 10%

  • 20℃
  • ---℃
  • 50%

  • 23℃
  • ---℃
  • 10%

  • 23℃
  • ---℃
  • 20%

お知らせ