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チームをけん引した報徳の植浦慎仁主将(中央)。決勝でも最終盤まで体を張り続けた=7日午後、大阪府東大阪市、花園ラグビー場
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チームをけん引した報徳の植浦慎仁主将(中央)。決勝でも最終盤まで体を張り続けた=7日午後、大阪府東大阪市、花園ラグビー場
優勝した東福岡フィフティーンと写真に納まる報徳の植浦慎仁主将(手前中央)=7日午後、大阪府東大阪市、花園ラグビー場
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優勝した東福岡フィフティーンと写真に納まる報徳の植浦慎仁主将(手前中央)=7日午後、大阪府東大阪市、花園ラグビー場
準優勝の表彰状を手に、客席の応援団にあいさつに向かう報徳の植浦慎仁主将(左)=7日午後、大阪府東大阪市の花園ラグビー場
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準優勝の表彰状を手に、客席の応援団にあいさつに向かう報徳の植浦慎仁主将(左)=7日午後、大阪府東大阪市の花園ラグビー場

 人前に出るのが苦手だった少年が、大舞台で堂々とキャプテンを務め上げた。全国高校ラグビー大会で決勝を戦った報徳学園の植浦慎仁主将(3年)。高校日本代表候補8人を擁するタレント軍団のけん引役が「自分でいいのか」と思い悩んだこともあったが、練習を一日も休まず、チームを思う愚直さに仲間も指導者も信頼を寄せた。最強の団結力を築き、花園の頂点に迫った。

 兵庫県芦屋市で生まれ、ラグビー一家に育った。祖父章夫さん(87)は村野工で選手、監督として花園を経験。父智仁さん(56)も東灘で主将を務めた。だが、自身は「人の前でしゃべるのが苦手で、リーダータイプではなかった」。

 それでも、報徳ではひたむきな姿勢が買われて主将に推され、西條裕朗監督(59)も指名を決めた。だが、全国屈指の有力選手がそろった学年。「ジャパン(高校日本代表)候補がたくさんいる。うまい選手がやるべきでは」と戸惑いつつも、「みんなが言ってくれるなら」と覚悟を固めた。

 部員は3学年で101人。プレー面の先導は仲間に任せ、「俺たちが目指すのはどこか」などと要所での声かけに徹した。生活面ではルールの順守を求め、率先して部室を掃除するなど範を示した。同じ3年の伊藤利江人選手は「個性が強い代だが、いろんなことをまとめてくれた。最高のキャプテン」と頼りにする。

 現3年生は1年時から38人全員が退部せずに活動。西條監督が1997年に就任して以降、一人もやめなかったのは初めてだ。危機はあったが、その都度部員も話し合い、引き留めてきた。「ラグビー部のみんなといるのが楽しいと思って残ってくれたのでは。その中心には間違いなく慎仁がいた」。顧問の木下友紀子教諭(26)は証言する。

 見守ってきた智仁さんは「練習を一度も休まず、弱音も吐かない。チームに結束力があり、支えられたからでは」と友に感謝する。

 ポジションはフォワードのフランカー。トライなど華やかなプレーは少ないが、チームの支柱としてがむしゃらに体を当て続けた。「『キャプテン』って呼んでくれて、ついてきてくれた。心強かったし、みんなに感謝です」

 春、夏は日本一、そして冬は準優勝。報徳史上最強世代は「チーム植浦」でなければなし得なかった。

<全国高校ラグビー写真集>報徳【2】準決勝、決勝

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