
野球漫画「タッチ」の主人公にちなんで命名された右腕が、プロ野球選手としてスタートを切った。
昨年のドラフト会議でDeNAから5位で指名された橋本達弥投手(22)。中学時代の成績はオール5で、偏差値70超の進学校、兵庫県立長田高校時代から注目を集めた。慶応大では不動のストッパーを任され、全日本大学選手権では優勝投手に。大学日本代表入りも果たした。輝かしい経歴の一方で、大学入学直前に国指定の難病に見舞われた。「周りにも伝えられない、苦しい2年間」を乗り越え、「野球をできなくなる経験をしたことが原動力」と思えるようになった。逆境に負けない気持ちの強さを手にした不屈の右腕は惜しみなく汗を流している。
■きっかけはTVゲーム
昨年12月下旬。地元神戸に帰省し、母校で高校生と学校関係者約千人を前に、これまでの野球人生を語った。講演するのは初めて。「伝えることは頭に入っているので」とメモは用意してこなかった。安定志向で挑戦することなく夢を諦めた中学時代、プロを目指す覚悟を決めた高2の春。そして病気になって抱いた感情。体育館の壇上で30分間、等身大の自分を伝えた。
「タッチ」の主人公、上杉達也にあやかり「達弥」と名付けられた。ものづくりが好きだった幼少期の夢は建築家。プロ野球選手に憧れを抱くきっかけは「父が買って来てくれたTVゲームの中で、格闘技とサッカーより面白かったから」という。硬式のクラブチームに勧誘される実力はあったが、小学校卒業時は150センチ、35キロ。父に「身長が180センチになってからやな」と冗談混じりに諭され、中学は軟式野球部へ。球速には自信があったが、内野手が定位置で投げるのは2、3番手のポジションだった。
■「プロを目指せる」高校時代に転機
文武両道で進学した長田高校で硬式野球部に。高1の秋に潮目が変わる。本格的に投手を任されるようになり、翌春の練習試合でノーヒットノーランを達成。投手コーチだった野球部長から「才能を磨けば、プロを目指せる」と太鼓判を押され、転機となった。「大学やこれからの人生考える中で、最初にやりたいと思ったことが野球選手。真剣に好きなことに向き合ったらどうなるのか」。例えば食事面。元々、小食だったが、2リットル容器の弁当を午前中の授業の合間に食べ終え、昼休みは食堂に駆け込んで体を大きくし、180センチに到達。いつしか進路希望調査には「プロ野球選手」と書くようになった。
腰の疲労骨折などの影響で半年間戦列を離れたこともあったが、集大成の高3夏に全国高校野球選手権東兵庫大会で8強入り。4年後の指名を目標に、多くのプロ野球選手を輩出し、歴史と伝統のある東京六大学リーグでのさらなる技術向上を目指して進学を決断。倍率10倍の慶応大のAO入試を突破し、2019年2月からAチームのキャンプに帯同した。
■大学入学前にドクターストップ
暗転したのは、大学入学を控えた3月。「ひどい胃腸炎のような」症状と体調不良が続き、慢性の腎臓病「IgA腎症」が発覚。医師からは「野球をやめる選択肢が一番良い。基本的にはスポーツをすることを勧めていない」と告げられた。
「その時は頭が真っ白。野球を頑張るためにこの道を選んだのに、それがなくなった。どうしたらいいのか」。本人は約1カ月の入院中暗い日々を送っていたというが、闘病を支え続けた家族はある光景を覚えている。病室に置いてあった黄色のグラブの存在を。
入院中、首脳陣から「やめる選択肢もあるだろう。何かしらの形で関わってほしい」と声をかけられたこと、大学野球部同期の励ましも支えになった。5月に大学に戻り、野球部のミーティングであいさつすると「おかえり。よかったな」と歓迎してくれた。「まだ会って間もないのに、Aチームのメンバーがすごくうれしそうだった。それがあったから、野球をここでやろうと思った」。体重は13キロ落ちて一時は62キロになったが、懸命のリハビリでマウンドに立てるように。20年8月のリーグ戦でデビューを飾った。
■「残り2年を一日も休まずに毎日練習」
グラウンドに戻ってくると、愚直に夢を追いかけた。治療の影響で制限があり、約2年間、十分な練習量を積めなかった。「ポジティブに考えられた。休んでいた分を取り戻し、その上でライバルたちを追い越せるか」。たどり着いたのが逆転の思考だった。
大学野球部の年間の休養日を数えた。長期休暇も加えれば、大学4年間で8カ月休みがある計算だ。「実質3年。そのうちの1年を休んだと思って、残り2年を一日も休まずに毎日練習しよう」と決めて取り組んだ。それから、チーム練習がない日もグラウンドで走り込み、ジムで汗を流す。新しいトレーニングも1カ月試して判断し、種目を増やした。
大学には約60人の投手が在籍。「オフの日も練習をやるので温度差を感じて近寄って来なくなる人もいた」と苦笑いするが、ブレない信念があった。「夢を実現するためにオフを使っているだけ。人がやっていない時に行動する。そういう習慣があった」。21年は不動のストッパーを任され、全日本大学選手権では優勝投手に。プロ入りへの道を自ら切り開いた。
■「苦労している人の希望になれたら」
昨年末の帰省時。小中高の指導者や先生らにプロ入りを報告する機会があった。恩師から当時の逸話とともにエールを送られた。今月7日の入寮時に持ち込んだ似顔絵が描かれた絵画などをプレゼントされ祝福を受けた後、200秒のお礼のあいさつに思いを込めた。「輝かしい成績もあるけど、野球をやめたくなるようなこともすごくあった。今こうやってお世話になった皆さんの前でいい報告ができてすごくうれしく思っています」と時折、涙をこらえながら謝辞を述べた。
背番号は35。2月1日のキャンプインを前に「自分の好きな野球に向き合って、難病だったり、何かコンプレックスがあったりして苦労している人の希望になれたら」とプロでの誓いを宣言した。
【はしもと・たつや】2000年7月18日生まれ。兵庫県神戸市西区出身。150キロ超の直球とフォークが武器。神戸市立木津小1年から野球を始め、同市立桜が丘中では軟式野球部でプレーした。県立長田高で本格的に投手の道を歩み、3年夏の全国高校野球選手権東兵庫大会で8強入り。慶応大では守護神として活躍し、3年時に春秋リーグ連覇を果たした。高校時代の教え「愚直なまでのひたむきさ」がモットー。名前の由来は野球漫画「タッチ」の主人公・上杉達也から。181センチ、84キロ。右投げ右打ち。

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