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J1鹿島アントラーズのサポーターから教わったという美しい旗振りで応援する山城和也さん=2014年9月、横浜市の日産スタジアム
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J1鹿島アントラーズのサポーターから教わったという美しい旗振りで応援する山城和也さん=2014年9月、横浜市の日産スタジアム
ヴィッセル神戸のホームゲームを観戦する山城和也さん=2014年9月、神戸市須磨区のユニバー記念競技場
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ヴィッセル神戸のホームゲームを観戦する山城和也さん=2014年9月、神戸市須磨区のユニバー記念競技場
急逝を受け、昨季のホーム開幕戦で追悼セレモニーが行われた=2022年2月、神戸市兵庫区のノエビアスタジアム神戸
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急逝を受け、昨季のホーム開幕戦で追悼セレモニーが行われた=2022年2月、神戸市兵庫区のノエビアスタジアム神戸

 サッカーJリーグ1部(J1)ヴィッセル神戸の名物サポーターとして知られた山城和也さんが50歳で急逝し、1年がたった。30歳の記者にとって、大学時代、応援での振る舞いや横断幕づくりのイロハを身近で教えてくれた兄貴分だった。30周年を迎えるJリーグは17日に開幕する。節目を前に、ヴィッセルにささげた熱血漢の人生を多くのファンに知ってもらいたいと思った。

 山城さんは1995年に始動したヴィッセルを草創期から応援していた。建築関係の仕事をし、「試合がある日は公休や」が口癖。半袖のユニホームに迷彩柄のズボンがトレードマークで、太鼓や手製の横断幕を積み、全国各地に夜通しワゴン車を走らせた。

 試合で活躍するトップ選手だけでなく、ヴィッセルのアカデミーで技を磨く小中高生を支えることが生きがいだった。

 北海道や鹿児島県で行われる全国大会に車中泊をしながら駆け付け、未来のJリーガーを目指す子供たちを後押し。進学や移籍で神戸から旅立つ日には、JR新神戸駅や大阪(伊丹)空港などに横断幕を持って見送りに訪れ、エールを送った。

 そんな山城さんに記者が出会ったのは2012年、本拠地ホームズスタジアム神戸(神戸市兵庫区)でアルバイトをしていた大学2年生の時だった。

 先輩に紹介してもらい、6歳からのヴィッセルファンで、小学生の頃はブラジル人FWのオゼアス選手に憧れていたことを明かすと、山城さんは「ヴィッセルを応援する人はみんな仲間。俺はエンジョイフットボールの精神だから」とゴール裏に誘ってくれた。

 2部(J2)で戦った13年には、試合前日の深夜に神戸から車を走らせて関東方面へ向かうアウェー遠征に同行。横断幕づくりでは、布や養生シートにプロジェクターから文字を投影させて下書きしてから、ペンキや油性ペンでむらなく色を塗ることを教わった。

 最後に会ったのは、亡くなる2カ月前、21年11月だった。本拠地近くにある、選手やサポーター行きつけのそば店がのれんを下ろすことになり、最終日に訪れると、調理場の奥でユニホームを着た山城さんが手伝いをしていた。

 その夜、LINE(ライン)でメッセージが送られてきた。「記事に尾藤の名前があるとうれしくなります。U-12(12歳以下)、U-15(15歳以下)の取材も頼むよ」。これが最後のやりとりとなった。

 昨年1月、山城さんは亡くなる3日前にも日本代表戦で埼玉スタジアムを訪れ、ヴィッセルに所属する大迫勇也選手のユニホーム姿で旗を振った。心臓疾患を抱えていたといい、埼玉から自宅に戻った後に倒れた。

 翌月のホーム開幕戦では追悼セレモニーが行われ、ゴール裏には応援に使っていた旗や横断幕などの遺品が掲げられた。横断幕の一部は今、衣装ケースにまとめられ、トップチームから育成年代までのサポーターや保護者らに共同で管理されているという。

 ヴィッセルが「奇跡のJ1残留」を果たした13年前につくり、白地にクラブカラーの深紅で「絆」と書かれた旗が代表作だった。今季のJリーグは声出し応援が本格的に復活する。新型コロナウイルス禍で大声を出せないもどかしさを口にしていた山城さんが、天国でうらやましがるぐらいの一体感を期待したい。

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