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ドイツ行きを前に、野球と世界遺産への思いを語る久保康友投手=2023年2月、西宮市内
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ドイツ行きを前に、野球と世界遺産への思いを語る久保康友投手=2023年2月、西宮市内
兵庫ブレイバーズで投げる久保康友投手(提供)
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兵庫ブレイバーズで投げる久保康友投手(提供)
メキシコのトゥルム遺跡観光を楽しむ久保康友投手(2019年、本人提供)
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メキシコのトゥルム遺跡観光を楽しむ久保康友投手(2019年、本人提供)

 「少年野球チームの保護者に元プロ野球選手がいて、時々教えに来てんねんけど取材してみる?」。同僚に紹介され、阪神などで活躍した久保康友投手(42)と初めて会ったのは2020年秋だった。プロ野球引退後は米独立リーグなどで投げてきたが、当時は兵庫県西宮市内の自宅で新型コロナウイルス禍の自粛生活中。“ちょっと面白い”程度の街ネタを想定していた私は「野球はもう仕事ではない」「海外で現役を続けるのは世界遺産を見て回るため」と自然体で言い放つ久保投手のキャラクターにすっかり面食らってしまった。何なんだ、この人は-。

 20年10月。取材場所の喫茶店で近況を聞くと「コロナ禍でずっと家にいる。長男の少年野球チームで体を動かすことはあるけど、トレーニングは一切していない」とあっけらかん。ただ「いずれまた海外で投げる」「無収入だけど今が一番楽しい」と語る目は、やけに生き生きしていた。

 久保投手はいわゆる「松坂世代」の一人。プロ野球のロッテ、阪神、DeNAの3球団で、通算97勝を挙げた。

 17年に引退すると、18年には米独立リーグ、翌年はメキシカンリーグで投げたが、20年はコロナ禍で海外を断念。最初の取材はこの時期だった。

 昨年は「家から近い」という理由で同県三田市のさわかみ関西独立リーグ球団・兵庫ブレイバーズに加入し、一回りも二回りも下の選手たちとプレー。海外を見据えて体づくりに励んだ。

 今年2月下旬の取材では「若い選手の考え方や悩み事に、選手という同じ立場で触れられたのはすごくいい経験になった」と話していた久保投手。自身は昔から野球界に根強い上下関係や根性論が苦手だったといい、だからこそ「合理性を重視する若い子の気持ちはむちゃくちゃわかる。それが否定されない時代になったのは喜ばしいこと」と笑顔を見せていた。

    □  □

 そんな久保投手の人生最大の楽しみは、一にも二にも、世界遺産を巡ることだ。海外で現役を続ける動機はそのためだと公言しており、今春からは晴れてドイツ・ブンデスリーガで投げることが決まった。

 世界遺産に魅入られたのは10代後半。だが社会人、プロ時代は「生活を安定させるのが最優先。けがも絶対NGなので、実際に行くのは諦めていた」といい、DVDの映像で我慢していた。17年にDeNAから戦力構想外を告げられると、「やっと好きにできる」と解放感を覚えたそうだ。

 メキシコ時代は、ある日のナイターが終わるや即座に流しのタクシーをつかまえ、数時間かけて世界遺産のトゥルム遺跡へ。ほぼ徹夜の強行軍を、「そんなことばかりやってました」と楽しげに振り返る。

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 ドイツでは、野球は“超”のつくマイナー競技。選手たちも生活費は別の仕事で稼ぐ。久保投手の現地での住まいは風呂トイレ共同のシェアハウスで、報酬も微々たるものだという。

 だが本人はどこ吹く風だ。「今まで野球人気の高い国でしかプレーしたことがないので楽しみ。だって、そっちの方が断然面白そうじゃないですか」

 日本球界を離れ、独立独歩を貫く久保康友。3月15日、いよいよ日本をたつ。

【久保康友(くぼ・やすとも)】1980年、奈良県出身。大阪・関大一高時代、選抜高校野球大会の決勝で横浜高の松坂大輔さんと投げ合った。社会人の松下電器を経て、2004年のドラフト自由獲得枠でロッテに入団。阪神、DeNAでも活躍した。今季はドイツで現役を続行する。

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