日本初の民間邦字新聞を発行し「新聞の父」として知られる播磨町出身のジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵、1837~97年)を顕彰し、1949年に刊行された本58冊が同町郷土資料館(大中1)の収蔵庫で見つかった。タイトルは「新聞の父 アメリカ彦蔵物語」。ヒコの生涯を分かりやすい文章でつづっており、同資料館は「郷土学習など子どもたちに故郷の偉人を知ってもらうために生かしたい」と活用法を検討している。(増井哲夫)
ヒコは1850年、遠州灘沖で遭難し、船で漂流中に米国船に救助されて渡米。59年に帰国した。この間、資産家の援助を受けて学校に通って見識を広め、日本人で初めて大統領と公式に面会するなど貴重な体験をした。帰国後の64年、海外事情をまとめた日本初の民間邦字新聞「新聞誌」(後に「海外新聞」と改題)を発刊した。