三国史明さん自画像
 三国史明さん自画像

 社会現象を巻き起こしている大ヒット映画『国宝』。原作となった吉田修一さんの同名小説の漫画版が、「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載されているのをご存じだろうか。ちょっぴりネガティブ思考な作画担当の三国史明さんと担当編集者に、華やかな歌舞伎界に渦巻く愛憎劇を漫画にする苦労話を尋ねると、映画版とはひと味違う喜久雄と俊介の複雑な関係性を描く喜びと、苦しさが同時に浮かび上がった。(取材・文=共同通信 川村敦)

 『国宝』 歌舞伎界の愛憎を描く群像劇。圧倒的な才能を見いだされ、名門「丹波屋」に引き取られた主人公の喜久雄と、その家の嫡男の俊介が、意識し合いながら成長していく姿を描く。李相日監督が映画化し、喜久雄を吉沢亮さんが、俊介を横浜流星さんが好演。興行収入は130億円を超え、邦画の実写映画で歴代2位となった。

(1)悔しくて、仕方がなかった

▼記者 映画の『国宝』はご覧になりましたか?

◆三国 見ました。本当に素晴らしいと思いました。

●担当編集 試写会にご招待いただいて、一緒に見に行きましたよね。スタンディングオベーションの中、三国さんだけが立ち上がれないほど衝撃を受けていたのが印象的でした。

▼記者 そんなに衝撃を…。一番感動したはどの場面ですか?

◆三国 俊介の父親である「丹波屋」の半二郎が交通事故に遭った後、公演予定だった「曽根崎心中」の代役に、実の息子の俊介ではなく喜久雄を選ぶ場面があるのですが…。

▼記者 序盤の、2人の感情が激しく交錯する場面ですよね。

◆三国 その代役公演の直前、喜久雄が俊介に「俊ぼんの血ぃ、コップに入れてガブガブ飲みたいわ」と言うシーンがあります。自分ではこの場面の魅力を漫画で十分に表現できなかった気がして、悔しくて、悔しくて、仕方なかったです。

▼記者 漫画版でも、喜久雄の緊張感や複雑な胸の内が見事に表現されていると思いますが。

◆三国 ありがとうございます。映画は3回見たんですけど、見るたびに別の発見や感動があって、緊張感や複雑な胸の内を、漫画でもっと表現できるのではないかと考え込んでしまった時期がありました。一時は、映画『国宝』関連の全てのニュースを見るのがつらくて…。映画は映画で、私は漫画の面白さに集中しなきゃいけないと思ってはいるのですが、なかなかできなくて。

▼記者 それほどまでに、漫画『国宝』を良いものにしたいというプレッシャーを感じていらっしゃるんですね。他に映画から刺激を受けた部分はありますか?

◆三国 漫画の中で喜久雄と俊介の仲をもっと近づけなきゃ駄目だと思いました。

▼記者 三国さんが描く2人は独特の距離感ですよね。喜久雄と俊介の間には緊張感があり、仲がいいシーンでも2人の間に見えない溝がある感じで、年頃の青年のようにベタベタしたりしません。2人のつらい境遇から考えれば、私はそれをリアルに感じましたし、あえてそのように演出をされているのかと思いましたが。

◆三国 はい。あえての演出ですが、私自身、キャラクターを接触させるシーンを描くことが苦手で、それが無意識に出てしまったと思います。

▼記者 2人の接触が少ない感じは、担当編集者さんとしてはどうですか?

●担当編集 ハイタッチするとか握手するぐらいは必須ですよね。2人が距離を縮める瞬間がないのは不自然です。

▼記者 確かに。

◆三国 単行本の2巻で、酔っ払った2人が肩を組むんですが、初めはそれも描けませんでした。「そんなもんじゃないでしょう」「もっとこう、グダグダで!」と言われて(笑)、すごい時間をかけて描いたんです。

▼記者 しかし、2人は水と油のような関係性です。怒りのシーンで近づくという、三国さんの描く関係性も、やっぱりある意味でリアルじゃないかとも思います。

◆三国 そう読んでくれるとうれしいですけどね…。

(2)“よくも盗りやがったな”の表情

▼記者 それで言いますと、喜久雄と俊介の愛憎の「憎」の部分は、映画と比べてかなり丁寧に描き込まれていますよね。「曽根崎心中」の代役に選ばれなかった俊介が、喜久雄に行き場のない怒りをぶつけるシーンは、読んでいて胸が苦しくなったほどです。俊介は我慢して我慢して、その末に喜久雄に怒りをぶつけた後にも「…てな感じで、怒ったりしたほうがオモロイんやろうけどな」と冗談めかすしかない。その微妙な感情が、描かれた表情から伝わりました。

◆三国 そうですね。悔しさや嫉妬心などを募らせて、感情を爆発させる一歩手前の「よくも盗りやがったな…」の表情もうまく描けたと思います。

▼記者 強烈なシーンですよね。

◆三国 あと、その展開の少し前に、俊介が、代役を“盗んだ”喜久雄に、ゆっくりと視線を合わせる瞬間もすごく気合いを入れて描きました。

▼記者 喜久雄の表情に、茫然自失したような様子も交ざっていて、魅せられました。そうしたハイライトを盛り上げているのが、こま割りのリズム感だと思います。細かいカット割りで刻んでから、ドーンと大ごまや見開きで魅せる工夫がなされていますね。

◆三国 窮屈さを感じさせてから、パッと開いてスカッと開放感を感じてもらえるようにしています。でもこま割りも、単に私が下手なところもあって…。

▼記者 ネガティブですね(笑)。

◆三国 本当のことです(笑)。

▼記者 他方で、端役のキャラクターにも思い入れが感じられて、読んでいて心地良いです。1巻に登場する土佐犬のような見た目の義太夫の師匠など、登場するおじさんの絵のバリエーションが多彩です。

◆三国 おじさんの顔やしわの寄りかた一つとっても、描いていて面白いのかもしれません。作中に喜久雄や俊介のようなイケメンばっかりだと、おなかいっぱいになってしまうと思うので。ただ、楽しくて描いていたら、担当さんに「もっと主要人物の表情に集中してください!」と怒られました。

▼記者 舞台上に立つ喜久雄と俊介2人のシーンは難しくないですか? 例えば「京鹿子娘二人道成寺」のシーンは、立体感があってすごく美しく見えます。

◆三国 ありがとうございます。確かに難しいのですが、舞台上に関しては写真や資料もたくさんありますし…、それよりも2人の感情を掘り下げる方が難しいし、もっとうまく描きたい。そればっかり考えています。

(3)遠慮したら一生後悔する

▼記者 三国さんはデビューする前に、『北斗の拳』『サンクチュアリ』などで知られる漫画原作者の武論尊さんが立ち上げた「さくまんが舎」(長野県佐久市)に塾生として通われていました。子どもの頃から漫画家を目指していたんですか?

◆三国 絵を描くことが好きで漫画にも興味がありましたが、敷居が高くて一歩踏み出せない感じでした。元々は地元で広告制作の仕事をしていました。

▼記者 なるほど。カット絵を描くような?

◆三国 はい。カット絵を含むパンフレットの作成などです。ある時、知り合いの知り合いが、地元の偉人に関する漫画が描ける人を探していたんです。こういう仕事だし、勉強すれば描けると思って、承ったんですね。でも何から何まで、全くうまく進みませんでした。それで、一から勉強したいと思い、「さくまんが舎」に応募しました。

▼記者 プロの漫画家を養成するための私塾ですもんね。

●担当編集 三国さんが入られた第3期は、武論尊先生の担当として僕も授業にお邪魔していたんです。生徒さんの漫画やカットの添削をしているうちに、三国さんの絵が飛躍的に伸びていることに気付きました。「これはすぐデビューできるな」と思って、僕の方からお声がけしたんです。

▼記者 2021年夏に卒塾されていますね。

●担当編集 新人漫画家さんは、何らかの賞を取ってデビューすることが多いですが、三国さんの場合はその時の編集長に「すぐ連載させたいから、いきなりデビューさせてくれ」と言われて。2022年に、読み切りが「ビッグコミックオリジナル」に掲載されました。実は「さくまんが舎」の課題で描いてもらった作品が、そのままデビュー作なんです。

▼記者 ものすごい才能ですね。

◆三国 本当にありがたいと思う一方で、不安も大きいです。

▼記者 『国宝』の漫画版を描くことになって、どういうお気持ちでしたか?

◆三国 これだけの大作なので、もっと知識も経験も豊富な漫画家先生が描くべきではと迷う気持ちもありましたが、コミカライズのお話をいただいてから原作小説を読んで、純粋に2人の人生を描いてみたいと思いましたし、ここで遠慮したら一生後悔すると思いました。他の人が描くぐらいなら私が描きたいと思いました。

▼記者 歌舞伎はお好きだったんですか?

◆三国 いや、全く知らなくて。全然勉強が足りてないので、監修の方に細かくチェックしてもらっているんです。

●担当編集 ほんのちょっと異なるだけで、没入感が変わってくる世界ですから。

◆三国 先ほどの「京鹿子娘二人道成寺」の絵で言いますと、着物の厚みや烏帽子の長さ、手に持つ扇子(中啓)の角度が若干違うというような感じです。細かく細かく見ていただいています。

▼記者 それを知ってからこの絵を眺めますと、味わいが変わりますね。しかし、チェックが厳しいと苦労も多いと思います。

●担当編集 そういう意味では、ちょっと難し過ぎたかなと思う時もあります。ただ、吉田修一さんの原作には物語の大きな「うねり」があり、学ばせていただく部分が非常に多くある。これから三国さんにオリジナル作品をどんどん描いていってもらうための力にもなると信じています。

(4)精神的に参った描写は…

▼記者 原作や映画にはない、オリジナルのせりふや演出も読みどころです。喜久雄の実の父親である権五☆(郎の旧字体)が組長だった「立花組」が乗っ取られ、歌舞伎の世界に追いやられる喜久雄が言う「上等や」というせりふは印象的でした。

◆三国 ありがとうございます。原作小説を最大限尊重しながら、漫画として面白く読んでもらえるように工夫しています。自分がこれまでに体験した悔しさを、喜久雄の気持ちに重ね合わせて描きました。

▼記者 2人の人生に大きな影響を与える当代一の女形の小野川万菊の描き方は見事です。狂気を帯びた瞳の描き方もそうですが、万菊の指が蛇に見えたり、舞台上での演技が幽霊そのものに見えたり…。

◆三国 連載中はここで、ものすごく読者の人気が落ちたんです。

▼記者 え、そうなんですか。

●担当編集 めちゃくちゃ落ちましたね(笑)。

▼記者 なぜなんですか?

●担当編集 たぶん、不気味過ぎたんじゃないかと思うんです。「本当に怖がらせられたから5段階評価で星1だ!」みたいな読者の方がいたんじゃないかと。

▼記者 それほどまでに心胆寒からしめる表現だったということですね。

◆三国 私はその後、あんまり気持ち悪い顔は描いちゃいけないのかなと思って、いまだに気をつけています。

▼記者 狂気で言いますと、漫画『国宝』の3巻の最後では、半二郎の病が深刻化し、役者としての「生きざま=死にざま」が描かれています。襲名披露公演で吐血する半二郎の絵には無二の迫力がありました。

◆三国 半二郎の死を描いていて、本当に精神的に参ってしまっていました。あまり考え過ぎない方がいいのかもしれないんですが、思い入れのあるキャラクターなので、それができなくて…。

▼記者 そうした思い入れは、絵から伝わってきています。三国さんのその熱情も、漫画版の魅力だと思います。

●担当編集 三国さん、ここまで来たら走りきるしかないですからね!

▼記者 ちなみに、武論尊さんは、三国さんに何かおっしゃっていましたか?

●担当編集 「元気よくやれ!」って。

◆三国 (笑)。私は私なりに悩みながら、喜久雄と俊介の人生の絶望や輝きを、少しでもうまく描いていきたいと思います。漫画版の『国宝』も楽しんでもらえたらうれしいです。

三国史明 みくに・ふみあき 長野県出身。2022年に「穀潰しのメシア」で漫画家デビュー。24年から「週刊ビッグコミックスピリッツ」で『国宝』を連載中。