金菱清さん
金菱清さん

 2026年1月17日、神戸・東遊園地にともされた竹灯籠の前で、母親が行方不明のままという遺族代表が言葉を紡いだ。「お母ちゃんへ。どこにおるん?」。その声は31年前の阪神・淡路大震災の記憶が「現在進行形の物語」であることを私たちに突きつけた。この問いは、今も2500人以上が行方不明となっている東日本大震災の被災地においてより切実な、そして曖昧な形をとって現れている。

 作家の村上春樹は、ドーナツの穴を巡る議論を展開した。ドーナツの穴を単なる「空白(不在)」と捉えるのではなく、その空白を囲む「生地(実体)」があるからこそ、穴という存在が定義されるという考え方である。行方不明という事態は、人生の真ん中に空いた「ドーナツの穴」に似ている。そこには生地という実体はないが、「不在」という空洞こそが残された者の生を強く規定し、形づくってしまうのである。

 福島県浪江町請戸で育った女性も消防団員として住民を誘導する後ろ姿を最後に父が消息を絶ち、その巨大な空洞を抱え続けてきた一人である。彼女にとって「復興」の言葉は空虚に響く。

■「曖昧な喪失」と和解の物語

 頭では死を理解していても、心のどこかで「もしかしたら」と、かすかな希望に揺れ動く日々が続く。それは、死者として一律に処理されることへの抵抗であり、当事者だけが抱える「いまだ亡くなっていない」という感情の揺らぎである。こうした「曖昧な喪失」にさいなまれる遺族にとって、地域の伝統芸能や個人的な物語が、深い淵からはい上がる契機となることがある。

 東日本大震災で父が行方不明になった彼女の場合、故郷に伝わる「請戸の田植踊」であった。

 震災後再開されたこの踊りは、単なる伝統の継承を超え、死者の供養、そして「いまだ帰らぬ人と会える機会」へと変容していった。慣れ親しんだ神社の石畳を模した舞台で踊ったとき、彼女の心には不思議な現象が起きた。震災前のにぎやかな祭の風景が鮮明によみがえり、そこに神楽を舞う父の姿も重なった。実際には父と一緒に踊った経験はなかったが、記憶の断片がつなぎ合わさり、あたかもその場で共に過ごしているかのような高揚感に包まれた。

 これは「偽りの記憶」に近いが噓(うそ)ではなく、踊りを通して、物理的には失われた父や故郷を自分の中に確実に存在させるための儀式であった。ドーナツの穴(不在)を無理に埋めるのではなく、踊りという「生地」を豊かに編み上げることで、その中心にある空洞を愛すべき確かな輪郭へと変容させたのである。

 一方で、宮城県石巻市の女性の事例はまた異なる「和解」の形を示している。母の遺体は見つかったものの、父はいまだ行方不明である。彼女は当初、遺体がない中での葬儀に抵抗を感じていたが、住職の言葉をきっかけに、父母そろっての葬儀を執り行う決断をした。この儀礼は、父の「死」を確定させる冷たい手続きではなく、父の魂を自由にするための「再生」のステップとなった。

 彼女は、父の行明不明を「旅」として捉え直した。津波で流された船がハワイや沖縄に届いたというニュースを聞くたびに、「今日はお父さん、ハワイに行っているんだね」と仏壇に話しかける。生前に連れて行ってあげられなかった家族旅行の代わりに、父の魂は世界中を自由に旅しているのだと解釈した。この物語は、生と死の間に漂う父との心地よい「絶妙な距離感」をもたらした。実体がないからこそ、魂はどこへでも行ける。彼女にとっての「ドーナツの穴」は、もはや暗い欠落ではなく、無限の可能性へ通じる自由な通路となったのである。

 2人に共通しているのは、諦めるのではなく、独自の物語や儀礼を通じて「もやいなおし(結び直し)」を行っている点である。踊りの中で父を想起し、空想の旅路に父を送り出す。これらは、ご遺体という物理的な証拠を欠いたまま「死」という不可逆な現実を受け入れざるを得ない人々が、正気を保ち、生きていくために編み出した知恵であり、祈りの形にほかならない。

 行方不明者遺族の「区切り」とは、ご遺体が見つかり、埋葬することだけを指すのではない。止まったままの時間を、自分なりの物語を添えて再び動かし始めることである。福島の女性が「踊りが続く限り、あの頃の景色は消えない」と語るように、物語は失われたものたちを現在につなぎとめるための記憶装置として機能する。

 私たちは、彼女らが抱える「曖昧な喪失」を、「いつまでも引きずっている」という視線で見てはならない。不在の中に存在を見いだし、見えない絆を信じることで、今もなお災害の最前線を生き抜いているのである。

 答えは一つではない。一人ひとりが紡ぎ出す「和解の物語」こそが、失われた人々がこの世界に確かに生きた証しとなり、遺(のこ)された人々が未来へ歩み出すための灯火となる。阪神・淡路から東北へ、喪失と再会の系譜は続いていく。

(かねびし・きよし=関西学院大社会学部教授、災害社会学)