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 東日本大震災の発生から11日で15年となった。地震と津波で未曽有の被害を受けた岩手、宮城、福島県などでは追悼行事が開かれ、2万2千人を超える犠牲者をしのんだ。私たちも東北の地に思いをはせたい。

 被災地では市街地整備や交通網の復旧などは進んだものの、今も約2万7千人が避難生活を送る。そのうち東京電力福島第1原発事故が起きた福島県からの避難者は2万3千人余りで、全体の9割を占める。

 放射線量が高い帰還困難区域は7市町村に計約309平方キロも残る。中心部などの特定復興再生拠点区域(復興拠点)では居住が再開し、それ以外の特定帰還居住区域の認定も増えつつあるが、原発が立地する大熊町、双葉町に戻った住民はごく一部だ。炉心溶融(メルトダウン)という史上最悪レベルの原子力災害が復興を阻害し続けている。

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 第1原発の周囲には約16平方キロの中間貯蔵施設が広がる。福島県内の除染で出た土や草木など約1400万立方メートルを保管する。敷地は国道6号に沿い、大熊町、双葉町の中心からも近い。除染土は2045年までに県外で最終処分すると法律で定められ、政府は30年ごろに候補地選定を始めるとするが、受け入れを検討する動きはない。

 事故は産業の復興にも影響している。原発近隣の農業はおおむね5割程度しか再開しておらず、沿岸漁業の水揚げ量、製造業の出荷額ともに事故前の4分の1にとどまる。

 政府は事故で生じた放射性廃棄物などの後始末を急ぐとともに、生活再建に直結するなりわい支援を強化する必要がある。

■難航するデブリ回収

 福島の本格復興に向け、最も重要で困難なのは原発の廃炉である。

 11年に政府と東電が作成した工程表では、事故から30~40年後に廃炉を終えるとしていた。溶け落ちた溶融核燃料(デブリ)の回収は事故後10年以内に始め、20~25年後に済ませる予定だった。ところが実際にはデブリの取り出しは難航しており、試験採取できたのは推計880トンのうち、わずか1グラムにも満たない。

 昨年7月、東電は本格的な取り出し開始がさらに遅れ、37年度以降になると発表した。その時点で事故から四半世紀となる。にもかかわらず東電は「30~40年後」の目標変更をかたくなに否定する。その姿勢は被災者に対して不誠実と言わざるを得ない。現実的な廃炉の見通しを示すのが最低限の責務ではないか。

 デブリの回収は、炉心溶融が起きた1~3号機のうち3号機から始める。デブリを砕いて落とし、原子炉の側面から搬出するという。この方法が成功するとしても、内部の状況が異なる1、2号機に応用できるかどうかは分からない。回収したデブリや高線量のがれきの処分方法なども決まっていない。

 被災地の復興推進には現状の把握が不可欠だ。廃炉を巡る難題の一つ一つについて、政府と東電は包み隠さず情報を開示してもらいたい。

■反省忘れた原発回帰

 原発事故の反省を踏まえ、政府はエネルギー基本計画に「可能な限り原発依存度を低減する」と明記してきた。しかし22年、脱炭素などを理由に原発の最大限活用へと政策転換した。さらに昨年の基本計画改定で「依存度を低減」の表現を削除し、原発の建て替え要件も緩和した。

 教訓を忘れた原発回帰と言うほかない。福島の住民はもちろん、国民の不安は拭えていない。原子力規制委員会前委員長の更田(ふけた)豊志氏も、努力しても事故は起きると考えることが重要と指摘し「事故の記憶が薄れつつあることが怖い」と述べる。

 今年1月、中部電力浜岡原発(静岡県)の耐震設計に関わるデータ不正操作が明らかになった。再稼働した東電柏崎刈羽原発(新潟県)でもトラブルが続いた。この現状で原子力事業者を信頼するのは難しい。

 福島の事故では使用済み核燃料も危険な状態に陥った。全国各地の原発では今、その保管容量が限界に近づいている。再処理し、原発で再利用する核燃料サイクルが行き詰まっているためだ。1997年に完成予定だった青森県六ケ所村の再処理工場はまだ稼働していない。再処理した混合酸化物(MOX)燃料を使う高速増殖炉の開発も頓挫した。

 使用済み燃料の安定的な管理と処分は急務である。先進地の北欧などでは、そのまま埋める「直接処分」を採用する。政府は困難な再利用に固執せず、核燃料サイクル政策の是非を再検討するべきだ。事故の教訓を無にしてはならない。