米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を巡る日米両政府の全面返還合意から、12日で30年が経過した。1996年の合意当初に5~7年という期間を示したにもかかわらず、返還はいまだに実現していない。同飛行場は事故やトラブルの多い輸送機MV22オスプレイなどを配備し、住宅密集地の真ん中にあるため「世界一危険な基地」と評される。深刻な問題を解決できずにきた責任を日本政府は重く受け止めるべきだ。
同飛行場は沖縄戦のさなか、役場や学校が並ぶ集落と農地を米軍が強制接収し、建設した。周辺では沖縄国際大への大型ヘリコプター墜落(2004年)、普天間第二小学校でのヘリ窓枠落下(17年)などの事故が続いてきた。飛行の騒音や海兵隊員による事件も絶えない。
宜野湾市議会は合意30年を前に、「返還時期すら明確に示されていない現状に市民は翻弄(ほんろう)されている」とし、早期返還などを求める決議を全会一致で可決した。決議が訴えるように基地の固定化は許されない。
政府は1999年に同飛行場の辺野古移設を閣議決定し、海の埋め立てを伴うV字形滑走路の建設が決まった。県内移設への住民の反発は強く、2013年に仲井真弘多(なかいまひろかず)知事が行った埋め立て承認を翁長雄志(おながたけし)知事が取り消した。玉城(たまき)デニー知事も大浦湾で見つかった軟弱地盤の改良工事の設計変更を不承認とした。
国と県は複数の裁判で争い、勝訴を続けた国側は23年、県に代わって設計変更を承認する異例の代執行に踏み切った。自治を否定するあまりにも強引な手法である。
県側はむやみに反対しているわけではない。マヨネーズ並みの軟弱地盤は海面下90メートルに達するとされ、7万本以上のくいを打つ必要がある。埋め立て用土砂も沖縄戦の遺骨が交じる本島南部などでの採取は難しく調達は不透明だ。「完成は極めて困難」との主張には合理性がある。
看過できないのは、長い滑走路が用意されるまで「普天間は返還されない」と米側が述べている点だ。辺野古の滑走路は約1800メートルで普天間の約2700メートルより短く、米側は緊急時の代替滑走路を求める。民間施設も視野に入れるが、那覇空港の使用は玉城知事が拒否している。
普天間が返還されないなら新基地の意味がなくなる。政府は「辺野古移設が唯一の解決策」と繰り返す以上、代替滑走路の選定も含めて返還の見通しを示さねばならない。
政府と県が対立していては、住民が受ける重い基地負担を解消できるはずもない。高市早苗首相は玉城知事が求める話し合いに一刻も早く応じてほしい。同時に危険性の軽減策を米側に強く求める必要がある。
























