水俣病は、原因企業チッソが排出したメチル水銀で海が汚染され、食物連鎖を通じて発生した中毒性の神経系疾患である。「公害の原点」と呼ばれる被害の公式確認から、きょうで70年となる。この間、公害健康被害補償法に基づく患者認定と補償、2度の「政治決着」などが行われたが、行政の対策から漏れた人たちが今も救済を求める。公害の全容解明と問題の全面的な解決ができないままでいる政府は、自らの責任の重さを改めて自覚するべきだ。
公式確認は1956年5月1日、原因不明の疾患が発生したと熊本県水俣市の医師が保健所に届けたことによる。運動失調や感覚障害、視野狭窄(きょうさく)、手足のしびれ、頭痛などの症状がある。死亡に至る劇症型患者、母親の胎盤を経由して水銀の影響を受けた胎児性患者も少なくない。
被害が大きかったのは不知火(しらぬい)海に面した漁村だった。病状に加え、感染症との誤解などで偏見にさらされた住民の苦難は想像を絶する。
原因については当初から、汚染された魚介類の摂取の可能性を専門家が指摘していた。熊本県が食品衛生法による漁獲禁止を照会すると、当時の厚生省は「魚介類のすべてが有毒化している根拠がない」として同法を適用しなかった。食中毒として適切に対応していれば被害拡大を少しでも防げたはずだ。チッソの排水を規制しなかった判断も含め、政府の不作為というほかない。
68年の公害病認定後、熊本、鹿児島両県に認定申請をした人は2万8千人を超える。だが認定基準が厳しく、患者と認められたのは2300人に満たない。健康被害を訴えた人の数と比べてあまりにも少ない。
未認定患者らは訴訟などを通じて救済を強く求めた。その結果、政府は95年に一時金などを支給する政治決着を図る。だが2004年、関西訴訟の最高裁判決は国の認定基準よりも幅広く被害を認め、被害拡大についての国や県の責任も認めた。
これが09年の水俣病特別措置法による2度目の政治決着につながる。二つの救済策は計約4万8千人を対象にしたものの、対象外となった人は多い。各地で集団訴訟が起き、原告勝訴の判決も出ている。政府はさらなる救済方法を探る必要がある。
本年度から本格実施される特措法に基づく健康調査にも問題がある。個人を水俣病か判断しない方針で、MRIなどを使う方法にも、住民側から「時間がかかり、大規模調査に向かない」との批判が出ている。
救済や被害の全体像の解明につながらないのであれば、調査に意味があるのか疑問を抱かざるを得ない。環境省は住民の声に耳を傾け、手法などを再検討してもらいたい。






















