子供が最初にしゃべった言葉はジャックでした。家族の大先輩としてしっかりベビーシッターを務めるジャック。
子供が最初にしゃべった言葉はジャックでした。家族の大先輩としてしっかりベビーシッターを務めるジャック。

この猫は、Aさんが独身のころから飼い始めたアメリカンカールの男の子、ジャック君です。以来、Aさんは何度も引っ越しをしましたが、その度にジャック君も一緒でした。そしてAさんが故郷から遠く離れたところにお嫁入りされた際もジャック君と一緒。やがて家族が増え、ジャック君が亡くなる時にはジャック君を含めて5人家族でした。

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もうすぐ15歳になろうとしていた冬の終わりのある日、ジャック君は食べたドライフードを丸ごと嘔吐しました。それまでは少しでも不調があると早めに動物病院へ連れて行くAさんだったのですが、今回に限っては、かなり忙しくて時間がとれず、5日後に気づくと食欲が落ちてあまり動かなくなっていて、慌てて病院へ連れて行ったそうです。

血液検査をして、重度の腎不全と診断されました。獣医師からはこのまま入院治療を提案されました。唐突な出来事に動揺し、Aさんは言われるがままにジャック君を入院させました。ところが、入院中のジャック君は暴れてなかなかスムーズに点滴できず、いったん帰宅することとなりました。しかし、やはりいつもの食べっぷりではないので再度お願いして入院させましたが、腎数値はすっかり改善とまではいきませんでした。

退院時に獣医師から、自宅で投薬と皮下点滴をするように指示されたのですが、ジャック君は激しく抵抗して点滴は全くできませんでした。やむなく、週2回動物病院に通院して皮下点滴をすることになりましたが、その通院もだんだん嫌がるようになり、しかし食欲は今ひとつのままでした。

ジャック君を連れて行くと、良くなるどころか、かえって疲れて元気が無いようにAさんには思えました。Aさんは、動物病院に連れて行かずに放置してしまった5日間をとても後悔しました。その5日間は本当に忙しくて睡眠時間も十分とれていなかったのに、ジャック君は朝早くにAさんを起こしに来ました。そのときAさんは思わず「うるさーい!」と怒ってしまったのでした。

「あの時、私が怒ったから腎不全になったのだろうか?(そんなことはありません)」
「朝起こしに来たのは、僕はしんどいんです~と訴えていたんだろうか?(それはあるかも知れません)」
「5日間、動物病院に連れて行かなかったから腎不全になったのだろうか?(以前から少しづつ少しづつ病気が進行していたのです)」

Aさんは悩み、悔やみました。

しかし悔やんでいても始まりません。Aさんは「ジャック君はどうしたらいいのか?どうしてあげたらよくなるのか?」の答えを必死でインターネットで探しました。しかし探すうちにAさんは、はたと気付きました。

インターネットの情報は「〇〇のサプリメントを飲んで〇〇日生きて頑張ってくれました!」というような「生かす」情報ばかりでした。でも、ジャック君はもう長くはなさそうで、ジャック君自身はとっくに天国に行く覚悟が出来ているのに、飼い主の自分は全く看取る覚悟ができていないばかりか、ジャック君が死ぬのが怖くてなんとか先延ばしにする方法ばかりを探しているのではないのか?自分の都合ばっかり考えてないか?と。

そして、冷静にジャック君の立場になって考えてみました。飼い主として、どうしたいかも考えました。答えは、「寿命は短かろうが長かろうが、まずは苦しまずに逝って欲しい」でした。そこで今度は、ジャック君をどうやって無事に天国に送り届けるのかについてネットで探しました。そして当院のブログをお読みになったそうです。

私は自身が獣医師でありながら、飼っている猫が亡くなったときにいろいろ後悔したことをブログに書いておりました。Aさんは「獣医さんでも迷うんだな。」と思うと気持ちが楽になったそうです。そして、病気を否定せずに向き合い、看病している病気の子がいとおしいという方が時におられますが、その気持ちが良くわかるようになったそうです。

悩んだ末に、Aさんはジャック君を動物病院に連れて行くのを止めました。すると、ジャック君の気分は良くなったようで、これまでは1日中押し入れに入って出てこなかったのに、夜はAさんの横で寝るようになりました。Aさん自身もストレスがなくなったそうです。以来、ジャック君は毎日、ほんの少しですがごはんやお水を摂りました。玄関にいることが多くなったので、「もう走ったりしないから、傍についているから」と子供たちがジャック君を庭で散歩させるようになりました。

苦しんでいる様子は全くありませんでした。そしてついに、飲み薬を飲ませようとすると「シャアアア~」と威嚇してくるようになり、飲ませるのをやめることにしました。

Aさんは、このころにはすでにジャック君の死は怖くないという自信のようなものが出てきました。しかし、ジャック君の病気は進行していました。ある日から、変な鳴き方をして暗いところに籠るようになりました。そしてついに、何も食べなくなり、じっとうずくまっているようになり、その翌日には歩けなくなりました。さらにその次の日には痙攣発作がありました。

Aさんは当院のHPにある「猫が安全に天国に行く方法」という看取りマニュアルを熟読されていたので、この発作も想定内でした。次の日、その次の日にもまた痙攣がありました。でも、お水を飲んだり、トイレまでは這いつくばって行こうとしていました。次の日には身体を動かすことが出来なくなったようでした。Aさんはジャック君を玄関からみんなのいるリビングに移動させました。次の日には尿が出ませんでした。家族で一晩中、ジャック君のそばで声をかけました。ジャック君は大きな尻尾をわずかに揺らして返事をしていました。

そして次の日、ジャック君の目はうつろになり、ぼんやりしていました。呼吸は静かで、旅立つ準備をしているんだなとAさんも不思議と静かに見守る準備ができていました。「死ぬということはぼんやりとしたまどろみの中で、この世から天国へ移動することであり、辛くはない」と本に書いてありましたが、本当に静かに横たわっていました。中身を空っぽにして身軽に旅立つ準備をしているような姿でした。

その後、呼吸が早くなってきたので、Aさんは、そろそろお別れだなと思い、ご主人に連絡しました。15時が過ぎたので子供達も帰って来ました。するとジャック君は懸命に起きあがろうとしたので、Aさんは抱き上げてずっと抱いていました。すると、ふっと呼吸が正常に戻り、その後、口を大きく開いて狼みたいな顔になって深く息を吸ったかと思うと10秒程度呼吸をしない、ということを数回繰り返して…そして静かになり、亡くなりました。

命が尽きる瞬間は、とても尊くて、立派で、この子も野生の動物なんだな、自分で最期は命を終わらせたんだな、と感動のような尊敬のような、そんな気持ちになり、「ジャック、かっこ良かったよ!」と思われたそうです。呼吸が止まる瞬間まで見届けることが出来て、最期を一緒に過ごせて本当に良かった、子供達みんなと見守ることが出来て本当に良かった、とAさんはおっしゃいました。Aさんは子供達にも「ジャックはこれから天国に行くんだよ」と繰り返し言っていたので、ふたりは泣きませんでした。さよならは言わずに、「またね、ずっとまたね」と言っていました。

亡くなった後に、子供たちはジャック君に宛てて手紙を書きました。「みんながかぞく」「ほんとうにありがとう 世界1のねこ ジャック」と思いを込めました。Aさんは「ジャックが天国に旅立ち、亡くなったことは寂しくて悲しい出来事ですが、ジャックと過ごしたかけがえのない時間は宝物です」とおっしゃいました。

◆小宮 みぎわ 獣医師/滋賀県近江八幡市「キャットクリニック ~犬も診ます~」代表。2003年より動物病院勤務。治療が困難な病気、慢性の病気などに対して、漢方治療や分子栄養学を取り入れた治療が有効な症例を経験し、これらの治療を積極的に行うため2019年4月に開院。慢性病のひとつである循環器病に関して、学会認定医を取得。