「同じアイドルを推しているはずなのに、なぜこんなに気疲れするのだろう」
推し活は本来、日常を彩る楽しい趣味です。しかし、推しへの熱量や距離感が少しずれるだけで、その時間は途端に重たいものへと変わります。平和な活動に見える推し活の裏側では、思わぬ人間関係の摩擦が生まれることもあります。
■推しがつないだ縁が、息苦しさに変わるまで
東京都在住のKさん(40代)は、人気アイドルグループを応援しています。グループ内の特定のメンバーに強い思い入れがあり、いわゆる「〇〇担」です。
ネットを通じて知り合ったのが、埼玉県在住のGさん(50代)。同じグループのファン同士という共通点から、自然な流れで推し活仲間になりました。
この年齢になってから、好きなものでつながる友人ができたことに、Kさんは純粋に喜びを感じていました。
Gさんは特定のメンバーに絞らず、グループ全体を愛する「ハコ推し」。推し方は違っても、話題は尽きず、たまにランチをしながら推しの話に花を咲かせる、ほどよい距離感の関係が続いていました。
ところが、その穏やかな関係は、ある一言をきっかけに崩れ始めます。
Gさんから「テレビやコンサートの感想を、直接会って語り合いたい」と持ちかけられたのです。
■「会える日はある?」が、重荷になるまで
「会える日はある?」
Gさんは何度も日程を尋ねてきました。しかしKさんは仕事が多忙で、すぐに予定を確定できません。会う気がないわけではなく、単純に調整が難しかったのです。
ところが、Gさんは推しへの思いが強い分、感情の共有スピードも非常に速い人でした。テレビ出演の感想、コンサートの余韻、細かな仕草への考察など、「今すぐ話したい」気持ちを抑えきれません。
「ちょっとだけでも会えない?」
「✕日の△時は駄目なの?」
そうしたメッセージが立て続けに届くようになり、返信が遅れるたびに、Gさんの苛立ちは増していきました。Kさんは、次第にスマートフォンを開くこと自体が憂鬱になっていったといいます。
■推し活の熱量は、必ずしも揃わない
推し活の難しさは、「好き」の深さが見えない点にあります。
全ての公演を追いかけたい人もいれば、無理のない範囲で楽しみたい人もいます。そこには時間だけでなく、金銭的な負担も伴います。何が正しいという話ではありません。
ただし、熱量に差があるまま、同じペースを当然のように求められると、それは負担になります。Kさんは、「同じ推しを応援しているはずなのに、なぜこんなに気を遣うのだろう」と自問するようになりました。
■「推し活のルール」に縛られる違和感
さらに、もう一人の推し活仲間、Hさんの存在が話題に上がります。Hさんは最近このグループの推し活を始めた、いわゆる新参者でした。
Gさんは「推し活のルールがまったく分かっていない」と不満を漏らします。暗黙の了解、守るべき振る舞い、応援の作法。Gさんの中には確固とした基準があり、それに沿わないHさんの行動が許せない様子でした。
しかしKさんは疑問を抱きます。
推し活に、誰が決めたのか分からないルールは本当に必要なのか。始めたばかりの人が戸惑うのは、むしろ自然なことではないのか。そう考えるほど、推し活が「自由な応援」から「管理された活動」へと変質しているように感じられました。
■推しへの愛が、人を縛らないために
推し活は、同じ対象を好きになることで人とつながれる貴重な場です。しかし、熱い思いが強くなるほど、「同じであること」を相手に求めてしまう危うさも孕んでいます。
会える頻度、情報共有の速度、応援の作法。そのすべてが一致することは、むしろ稀です。
Kさんは、自分なりの距離感で推しを応援したいと、改めて思いました。推しへの愛は競うものではなく、証明するものでもありません。
誰かの情熱に引きずられすぎたとき、推し活は簡単に「楽しい趣味」から「断れない義務」へと姿を変えます。
息苦しさを感じたときこそ、自分の「好き」の形を見直すタイミングなのかもしれません。推しは人生を豊かにする存在であって、人間関係を消耗させる原因であってはならないのです。
(まいどなニュース特約・松波 穂乃圭)
























