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(11)ボランティアの力 広島 地元での支援 息長く
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 「会」は兵庫県の県花にちなんで、「広島のじぎくの会」と名付けられた。

 広島市と周辺には、会が連絡先をつかんでいる被災者が約五十世帯いる。二カ月に一度、二十人ほどが市の中心部にある広島YMCAの会議室に集まる。一人暮らしの高齢者、六、七十代の女性が多い。近況を交換し合ったり、被災地の話をしたり。部屋は関西弁であふれる。

 「この会は緩やかなのがいい。震災体験を話したいが、周囲の人は無関心。会のみんなで話をすると気持ちが落ち着く」と会員の女性(46)は言う。

 きっかけは、YMCAに集まるボランティアがつくった。

 震災後、彼らは広島の住民から食器や電化製品などの提供を受け、被災者に手渡す活動を続けていた。昨年五月、被災者を招いて山口県の錦帯橋への小旅行を計画した。「時々、集まって話す機会があれば」。そんな声が参加者から上がった。

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 以来一年五カ月。集まりは絶えることなく続いている。会の事務局を担当する広島YMCA保育園長、一(はじめ)泰治さん(54)から話を聞いた。

 「震災後、私たちも被災地へ行こうと思った。だが、被災者は着の身、着のままでこちらにやってくる。地元の受け入れも大切ではないか、仲間でそう話し合ってここで支援活動をすることを決めた」

 会は、あくまでも被災者が中心に運営する。ボランティアは会員への連絡、会合の場所提供、経費を工面するバザー開催など「裏方」に徹している。

 「私たちは強制も押し付けもしない。被災者の気持ちを確実に受け止め、必要とされれば、どこまでもする。人間として当たり前のことをするだけです」

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 同市の繁華街にあるクラシック喫茶コンソート。店主で、フルート奏者の梶川純司さん(44)も、広島で被災者を支える一人だった。

 震災後、地元の音楽、演劇関係者らと「阪神エイド」を結成、代表を務める。月一、二回、チャリティー音楽会などを開催。今年一月に行った七時間連続の「ライブ・パフォーマンス」は、七百席が満席になった。

 「のじぎくの会」会長でギター奏者の山田一彦さん(44)も舞台に立ち、会の被災者らも耳を傾けた。収益は経費も引かず、被災地に寄付した。

 「音楽を通じて、震災を忘れかけた市民の気持ちを呼び起こすことができると考えた。やる以上は長く続けたいし、活動の期限はない」と梶川さん。

 兵庫県の推計では、神戸などの被災地で活動したボランティアは、延べ百五十万人を超した。この数には、一さん、梶川さんらは含まれていない。

 この八月、宮崎では神戸出身の宮崎放送アナウンサー川野武文さん(28)の発案で、被災者のネットワークをつくろうとラジオで毎日、テレビでも約十回、「被災者は宮崎市社協に連絡を」との呼び掛けが行われた。

 各地で続くボランティアの活動と模索は、被災者を励まし、元気づけている。だが、多くの被災者にとって「震災後」の状況はこう着したままだ。

 一さんはこう話した。「会の集まりに出てこない人も随分いる。一人暮らしで話し相手のいない人が多い。訪問活動ができないか、ケアをどんな形でしていくかが今後の課題であり、悩みだ」。同じことは、山田さんも考えていた。

1996/9/29
 

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