「市役所の人は口では言わないが、県外の人は生活が安定してうまくやっているんだという感じがありありだ」。岡山県・県営山陽団地の集会所で聞いた言葉が気になった。
被災地の行政担当者が足を運んでこない、置き去りにされているという疎外感が、思いに拍車をかけているようだった。
被災者の親ぼく会「岡山阪神会」代表を務める住田幸一さん(69)宅を訪ねた。2DKに妻(64)、二男(31)の家族三人で暮らす。入居は震災十一日後の昨年一月下旬だ。
神戸市兵庫区の自宅は全壊、近くの小学校に避難した。心臓に持病がある妻の体調は悪くなるばかりだった。「とにかくどこかへ落ち着かないと」。そんな時、岡山の親戚(せき)から山陽団地の受け入れを知った。
見学のつもりで団地を訪れたが、「今すぐにでも入居できる」と言われ、その場で決断した。バスの本数は少ない。車がないと生活に不便だが、落ち着きたい気持ちが勝った。何より、ほかにあてはなかった。
震災の混乱の中、被災者が、あっせんで県外の公営住宅に移り住んだ理由は、住田さんと大同小異だ。
この八月、神戸新聞社が山陽団地の三十三人から得たアンケートでも「早く落ち着きたかった」「とりあえずどこかに落ち着こうと思った」との理由は、約半数を占めている。彼らの多くは、仮設住宅にも申し込んだが落選、団地に住み続ける道を選んだ。
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医療費の減免措置が打ち切られ、家賃の徴収が始まるなど、被災者を取り巻く状況は次第に「日常」に戻されていく。地元の山陽町も今年三月末で被災者の対応をすべて打ち切った。
町総務課の担当者は「震災直後は、県や自治会と団地内に臨時窓口を設けた。集会所で、生活相談や就職をあっせん、保健婦らがケアのため、戸別訪問をした。多くのボランティアも生活用品を配るなど奔走した」と、振り返りながら、こう話した。
「もう被災者は落ち着いているし、特別な対応は必要ないでしょう。正直言って、町では震災は過去のことなんです」
「属地主義」という言葉を行政は使う。住んでいるところの自治体が住民に責任を持つという考えだ。岡山県を通じて団地に広報紙を届けている兵庫県も「行政の枠を超えて県外被災者に直接手をさしのべるのは難しい。早く戻って来てほしい」と繰り返す。
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住田さんは「被災者の気持ちがだんだんなえていることが心配だ」と言う。
被災地への思いを込めて「阪神会」と名付けた会の集会に、口コミで参加を呼びかけても、「どうせ元の場所には戻られへんのやから、集まってもむだや」と答える人が少なくない。
高齢者には「もうあきらめた」と言う声が目立つ。三回の集まりに、参加したのは十五人ほど。いずれも同じ顔ぶれだった。
「みんな帰りたいと思ってる。だけど、先が見えないから、あきらめの境地になっているんです。気持ちをほぐし合って何とかしないと」
あせり。歯がゆさ。がんばらねばという思い。会の世話人の一人、岡本正男さん(80)もいろんな気持ちを抱え込んでいた。
1996/9/17