■行政の手、届かず
席に着く前にしっ責が飛んできた。
「今ごろ、何しに来たんや。何で、これまで放ったらかしやったん」
「兵庫県から出たら、もう知らんってことか」
団地のこぢんまりした集会所に約四十人の被災者が集まっていた。七十歳ぐらいの女性の刺すような声に場内がしんとなった。
そばにいた男性が、取り持つように言った。
「わたしらのように被災して県外に出た人間はね、行政に見捨てられたと感じとるんです。その気持ちをぶつける所がないんですわ。かんにんな」
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桃の産地として知られる岡山県赤磐(あかいわ)郡山陽町。兵庫県の被災者約百五十世帯が暮らす岡山県営山陽団地は、岡山市からバスで約四十分。山林を切り開いた広い丘陵に二~五階建ての棟がいくつも並んでいた。
被災者の親ぼく会「岡山阪神会」がこの七月に発足した。取材に際して同会が住民に呼び掛け、集会所に集まってくれていた。
大半が高齢者だ。つえを握る女性が、いすからよろけながら立ち上がった。「とにかく神戸に帰りたいの。生きている間に帰りたい。どうか、助けてほしい」。祈るような目だった。
五十代の女性が手を挙げて、早口で話し始めた。
「私は命からがら神戸から逃げてきたんです。仮設住宅は当たらんかった。仕方なくここへ住んでる。そやのに、復興住宅でも仮設が優先なんて、何かやりきれんのです。県外に出たら、何でも自力でやれって言うんですか」
堰(せき)を切ったように、言葉が次々に噴き出してくる。
周りの人に地震の話をしても、分かってもらえないこと、被災地の情報が届かないこと、行政が自分たちのことをどう思っているかわからないこと…。
会の代表を務める住田幸一さん(69)が、近寄ってきた。
「何で、兵庫県や神戸市は、視察にも来ないんでしょう。これだけ被災者が住んでいるというのに」
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兵庫県外へ移った被災者はかなりの数に上る。震災から一年八カ月近く過ぎた今でも、全体の数や生活の状況、将来の展望など実態はほとんど分かっていない。
神戸市五千七百部、芦屋市五百部など自治体が被災者の求めに応じて郵送している広報紙から、数の一端がうかがえるにすぎない。
兵庫県生活復興局は「県外のどこにどれだけ被災者がいるかをつかむのは、実質的に無理。調査方法も思いつかない」とし、兵庫県西宮市の担当者はこう漏らした。
「一番困っている人は仮設に入居しているはずだ。県外の人も大変だとは思うが、行政としては、そこに焦点を当てた施策をやらないと」
西宮市は昨年七月、市外に出た避難者にアンケート調査している。回答は五百十八人で、うち県外は三百五十六人。自治体の実態調査としては唯一といえるものだ。所得三百万円未満は一四%で、仮設住宅のその比率七二%よりはるかに少ない。
だが、県外被災者にも格差がある。格差もはっきりせず、手を差し伸べるべき対象すらはっきりしていないのが、県外被災者といえないだろうか。
集会所に来ていた男性(84)は言った。
「仮設住宅は何回申し込んでも当たらんし、もうあきらめた。ここで死んでいこうと思うてますねん。神戸に墓があるんですけど、もう帰れん。電話を引くお金もあらへんしね」
ピーク時、二百四十六世帯がいた山陽団地では、約百世帯が被災地に戻るなど団地を後にしていた。資金力に乏しい高齢者らが取り残される、その構図は「仮設の今」に似ている。
集会の後、個別に被災者を訪ねた。
1996/9/16