大和川を渡ると、田畑の中に建売住宅とマンションが混在する。大阪の近郊風景が車窓に流れる。
大阪府松原市。升本光世さん(41)は、夫と子どもの家族四人で、近鉄南大阪線・河内松原駅近くのマンションに暮らしていた。
「神戸ではまた『他府県受験』になる。だから中学二年の二男がこちらの高校を出てから帰ろうかと思っているんです」
升本さんは、そう話しながらも踏ん切りはなかなかつかないようだった。
神戸市東灘区の市営住宅は全壊し、知人の紹介でこの町に来た。転居は、長男(16)が受験を控えた中学三年の三学期。親子とも不安だった。だが、転校先の中学校に出向くと、先生は「何も心配いらない」と言ってくれた。その日、震災後、初めて熟睡できた。
学校は制服から消しゴムまで用意し、友達づくりにも気を使ってくれた。長男は無事、第一志望の府立高校にパスした。
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府教委は九五年春入試で被災者を別枠にしている。合格最低点を超えれば、定員を超えても入学させた。兵庫県教委も避難先での受験を別枠にし、被災状況を記した「副申書」を添えるなどの措置を取った。
副申書などの措置は、今春の入試でも取られ、来春も継続される。だが、各府県で違う進学指導、入試方法、高校のレベルなど悩みは尽きない。
「二人の子がせっかくこちらの学校に進んだ。また中途半端な時期に転校させるのはつらい。神戸の学校でどう受け入れてくれるかも分からない」
升本さんは、再建される市営住宅に戻る権利を抽選で手に入れた。入居は来年で二男が中三になるのと同じ時期。教育・受験と入居の権利が絡み合う。
近くに住む高塚槙子さん(48)は、升本さんの相談相手だ。高塚さんの二女(15)も東灘区から同じ松原の中学に転入し、今春、府立高校に進んだ。
高塚さんは自宅を再建、来春に戻ることを決めていた。八十六歳の母の気持ちを酌んだからだ。「でも娘を転校させるかどうか」
高塚さんも升本さんも、まだ心は揺れている。
「入居はあきらめるしかないかなと思っているが、間際でどう気持ちが変わるか分からない。権利は期限ギリギリまで持っておきたい」と升本さんは言う。
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学校。友達。進学。子どもを持つ県外被災者の悩みは訪れた各地で聞いた。
東京・上野からJR常磐線で約四十分の茨城県取手市。駅から田園の中をバスで一時間少し。謝名(じゃな)孝さん(38)が住む新利根町は今年、村から町になった。長田区で被災し、親類の誘いで移ってきた。
「帰りたいのですが、あと四年はいます」
妻の鈴子さん(32)の頭には、中学一年の裕美子さん(13)、小学五年の健太君(11)のことがある。四年というのは健太君の中学卒業が区切りだ。
転居に一番反対し、新しい学校になじめなかった裕美子さんも、今はクラブ活動に打ち込む。「やっと二人に友達ができた」と鈴子さんは笑顔を見せる。
今春、謝名さん宅に一本の電話があった。神戸の小学校長が、裕美子さんの卒業証書を読み上げてくれた。親子で泣いた。
神戸と茨城。二枚の卒業証書が手元にある。どちらも大切だが、裕美子さんは「四年後」に賛成している。「神戸の友達と会うのが楽しみ」が口ぐせだ。
1996/9/19