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 知り合ったきっかけはパン屋さんだった。

 小さな森や畑が残る千葉県西部のベッドタウン・鎌ケ谷市。神戸市東灘区の自宅を失い、長女宅に身を寄せた浜野千世さん(67)は、散歩の途中で焼きたての「神戸の味」を見つけた。

 店の奥さんと親しくなると、近所にやはり神戸で被災した女性がいると教えてくれた。「神戸の人と聞いただけで、いても立ってもいられなくなりましてね」と浜野さん。

 紹介された下村歌子さん(73)も東灘区で被災していた。震災まで一人暮らしだったことも、いま娘さん宅にいることも同じ。昔からの知り合いのように話は弾んだ。

 下村さん方で、二人から話を聞いた。

 「まだ慣れなくて、電車に乗るのも緊張する。神戸なら何も考えずに、どこへでも行けたのに」
 「神戸には友達がいっぱい。十年若かったら、さっさと家を建て直していたでしょう」

 生活に不自由はないと思う。一人になる不安もある。それでも「神戸に帰ること」が話の中心だった。

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 家族や親類、知人らを頼って転出した県外被災者は、周辺に震災体験を共有する人がいない。それぞれが支え合う相手を求め、探していた。

 静岡県の県営住宅に住む女性(61)は「被災していなければ、言っても分からない。近所の人には震災の話は決してしない」と心を閉ざしていた。

 山口県で一人暮らす女性(58)は、職場の上司の言葉が忘れられないと打ち明けた。「給料が最初の話と違う」と話した際、返ってきたのは「あんたら被災者だから、してもらうのが当たり前と思ってる」という言葉だった。

 顔色が変わった。それが相手もわかったのか、口調は急に弁解がましくなったが、胸に突き刺さった。「こちらに来て、一日中、人と話さないこともある」と言う。

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 奈良・大和三山の一つ耳成山。そのふもとに夫と住む佐々雅子さん(59)は、被災者の集まりをつくろうとした。

 東灘区の自宅が被災し、橿原市の民家を知人から借りた。同市にも被災者がいると知り、市役所に足を運んだ。「被災者を集めたい。カウンセリングができる助言者が入れば、もっといい」と持ち掛けた。

 返事は「それなら『いのちの電話』などの相談窓口がある」だった。そうではない。顔見知りになるのが目的と訴えると、同市主催のイベントに招かれた。

 被災者二十人が参加。懇親会が開かれた。テーブルにはごちそうが並び、助役があいさつした。

 厚意には感謝している。が、求めたのは大げさな会ではなかった。神戸を離れて暮らす思いを話し、「そうよね」と同感してもらうことだった。何気ない会話で立ち直れる、部屋とお茶だけでよかったのに、と歯がゆさが残った。

 佐々さんはその後、参加者に何度か電話をかけた。近況を聞き始めると、三十分以上にはなる。

 自宅再建の問題が目前にあり、個人的にも忙しい。連絡を取り、日程を調整し、会場を取ることなど一人ではできない。結局、集まる機会はつくれなかった。「支える役割の人がいれば」と佐々さんは言う。

 地元ボランティアがサポートし、県外被災者が今も交流を続ける広島の「会」を訪ねた。

1996/9/27
 

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