「今も雨が降るとうずくんですよ」
リストカットの跡が残る手首を長袖に隠したまま、姉の船山真奈(21)は照れた。「ばかなことをしました。最初は大丈夫でも、後からじんじん痛むんです」
背中を丸め、時々、長い黒髪をかき上げる。とつとつと話が続く。
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高校三年の冬。過食と拒食は続いている。
つらくなると、父、一雄=当時(49)=の夢をみた。幼いころの団らん風景。家族四人がテーブルでご飯を食べている。みんな笑っている。
「すごく楽しい」と夢の中で感じている真奈。目が覚める。その感覚が体に残っている。
「あーそっか、お父さん、死んだんや」。現実に引き戻される。お父さん、本当にいないの? そう考えた途端、心が波打つ。どうしても受け入れたくない。だから、こう考えることにした。
「お父さんはお母さんと離婚しただけ。会おうと思えば、いつでも会える」。すっと心が楽になった。
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成績はよかった。卒業に必要な出席日数を稼ぐためだけに通っていた高校で、学年二番になったこともある。
「高卒じゃもったいない」と周囲に勧められ、心身症の薬を飲みながら大阪の専門学校に通うことにした。
満員電車の中。あの症状がぶり返す。
急に息ができなくなる。慌てて呼吸をしようとすればするほど、胸がかきむしられる。
「このまま死ぬんかな」。うずくまり、意識を失う。何度も救急車で運ばれた。
通院していた心療内科で「パニック障害」と診断される。無理をしながら二年間通った専門学校を昨年春、休学した。
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一年間、ゆっくり休んだ。次第に、周囲のことが見えてきた。
母の静子(53)は震災直後、テレビの特集番組に取り上げられたことがある。それを見た人から善意のお金が届いていた。
「役に立てて」と、父が全盲になる原因になったベーチェット病の患者から。また、長野県の夫婦は数年間、二、三カ月に三万円ずつ。こんな手紙が添えてあった。
「うちは共働きなので。私たちが遊びに使うよりも、生活の足しにしてください」
親切な人がいるんだな-。混乱しているときには気付かなかったことだった。
心療内科のカウンセラーの言葉も一つのきっかけになった。
「人のせいにして成長した人をみたことがない」。地震のせい、母のせいと思ってきた自分。最近、こう思うようになったという。
「そろそろ、父の死を受け入れてもいいかな。私の人生なんだから、ちゃんと自分の足で歩かないと」
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児童養護施設から一年で戻った弟、祐二(20)もゆっくりと立ち直る。
弱い自分でいいと思えるようになった。だからこそ、二十歳を過ぎて全盲になっても弱音を吐かなかった父のように、強くなりたいと思う。
昨年秋、彼女ができた。「実は」と意外な話を打ち明けてくれた。
「彼女も、震災でお母さんを亡くしていたんです」(敬称略、文中仮名)
2005/1/13