連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

  • 印刷

 「マスコミは聞きっぱなしでフォローがない」

 震災取材に関して、何人かの専門家に指摘されていた。

 遺児になった二人が今まで他人に語ることはなかったであろう、両親の最期の記憶。このまま聞き続けていいのだろうか。

 岸本愛子(27)、康一(25)の姉弟は笑顔を絶やさずに言った。

 「いいですよ。一度、きちんと整理したいと思っていたので」

    ◆

 つぶれた一階から運び出された父、修=当時(43)=と母、潤子=同(42)=の遺体は、崩れ落ちた二階の床板の上に横たえられた。

 自宅前の歩道。行き交う人々を背に、二人は黙って両親のそばに座り込む。

 「ドラマみたいに泣き叫ぶべきかな」。高校二年の愛子は思ったが、感情がうまく表現できない。両親がもう起き上がらないことは分かっていた。わざとらしいかも…。そう感じながら、勇気を出して小さな声で呼び掛けてみた。

 「お父さん、お母さん…」

 そのとき、後ろで声がした。小学生ぐらいの男の子が親に話していた。「あのお姉ちゃん、なんかブツブツ言ってるよ」。次の瞬間、言葉とともに、感情ものみこんでいた。

 このあたりから、愛子の記憶はあいまいになる。

 近所の人の助けで、体育館の安置所に両親の遺体を運んだ後、姉弟は避難所に移る。「どこだったかな」と愛子。「養護学校だった」と康一。

 「もっとこっちにおいで」「お団子食べへん?」。近所の人が掛けてくれる言葉に、愛子は笑顔でうなずいていた。

 差し出された赤川次郎の文庫本を、読むともなくめくっていた。

    ◆

 そのころ、中学三年の康一は友人らと<被災地探検>に出掛けていた。

 持ち主の見当たらない自転車を失敬し、「あそこはどうなっとるんやろ」と、夢中で走り回った。自宅のあった阪神沿線、三宮の繁華街、遊び慣れた路地。両親を奪った大きな力は、町ごと<日常>を破壊していたことに気づく。

 「止まっているのが怖かった」。探検を続けた理由を、康一はそう説明する。

 「僕はもともと楽天的なんで、二人が突然目を覚ますんじゃないかと、どこかで期待していた。それが嫌で、自転車で走りながら自分に言い聞かせた。現実を知れ、現実を…。だから、何度もつぶれた家を見に戻りました」

 康一は気づかなかったが、そのとき、家の中には愛子がいた。

 避難所は着の身着のままの人でごった返していた。だが、昼間は片付けのために静かになる。取り残された愛子の足は、自然と自宅に向いた。

 傾いたまま残った二階の自室。「危険だから入るな」。きまじめな愛子は、大人の言葉が気にかかったが、こっそり中に入った。カーテンを引き、ひざを抱え、暗くなるまで座り込んだ。

 「安心したんです。やっぱり自宅ですから」

 そして漠然と考えていた。

 「あしたはどうなるんかな」

(敬称略)

2005/1/4
 

天気(9月6日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 10%

  • 35℃
  • ---℃
  • 10%

  • 35℃
  • ---℃
  • 0%

  • 36℃
  • ---℃
  • 10%

お知らせ