岸本愛子(27)、康一(25)の姉弟は<あの日>から、それぞれ違う人生を歩んできた。
康一は一浪後、中国地方にある国立大の工学部に進学した。神戸を離れたかったわけではない。「センター試験の結果です」。屈託なく笑う。
キャンパスは市街地にあると思っていたが、受験したとき、山間部を切り開いた広大な敷地に移転していたことを知る。
「すごい田舎で驚きました」と康一。現在は大学院で物流システムの研究をしている。春にはIT関連のエンジニアになる予定だ。
震災で平凡な日常を奪われた。「だから、公務員になって平凡な暮らしを築きたい」と考えたこともあった。神戸の復興を目の当たりにし、「社会に役立つものを作りたい」とも願った。
迷いながら、自分に正直に歩いてきた。いつの間にか、エンジニアだった父の修=当時(43)=とそっくりの性格になっていることに気づいた。
「おおらかなのに、一から十まで納得しないと気が済まないタイプ」と康一。傍らで話を聞いていた愛子は、小学生のとき、算数の図形の質問を父にしたときのエピソードを思い出した。答えを知りたいだけなのに、父は図形の基本から説明をした。「応用が利かないと意味がないだろう」
やっぱり似ている、と康一は思う。
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「ジェットコースターで駆け抜けるような感じでした」。愛子はこの十年を振り返る。
震災の年の春、専門学校に入り、二年後、母の潤子=当時(42)=が勧めていた歯科衛生士になった。一九九八年、大学病院の歯科口腔(こうくう)外科に就職。歯科医の裕充(40)と出会い、二年後に結婚する。翌年、長男裕真を出産。裕充がアメリカのインディアナ州に留学するのに合わせて渡米。そこで長女愛海を産み、昨年、神戸に戻った。愛子が今回の取材のために作ってくれた「十年の出来事」には、そんな歩みが丁寧な字で書かれていた。
気持ちを伝えるのが苦手だったが、最近、自分に変化を感じている。
電車の中で立っているお年寄り。街の中で困っている人…。声を掛けたいと思っても掛けられなかった場面で、勇気を出せるようになった。
「十年もかかってそれだけか、と笑われそうですね」と愛子。だが、ささいなことの中に、大きな変化は潜んでいる。二人の子どもがご飯をおかわりすると、すごくうれしい。言うことを聞かないと、何度でもやり直しをさせる。「まるで母の再現フィルムです」と笑う。
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倒壊した自宅の跡に再建した愛子の家に、亡くなった父母の新婚時代のアルバムがある。震災直後、がれきの中から取り出したものだ。
当時、ふさふさだった父の髪は三十歳を過ぎるころ、急激に後退した。「だからあなたも早く結婚しなさい」と姉。「いや、相手に僕のすべてを知ってもらってからだ」と弟。
どこまで行っても、家族はつながっている。
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愛子、康一とは違う形で懸命に十年を生きてきた姉弟がいた。
父を失った喪失感とその後の生活の激変からパニック障害になった姉、真奈(21)=仮名。非行に走った弟、祐二(20)=同。次回からは二人の軌跡を追う。(敬称略)
2005/1/7