多くの震災孤児がそうだったように、岸本愛子(27)、康一(25)の姉弟も親類宅を転々とする。
岡山の父の実家で両親の葬儀を済ませると、愛子は、神戸市西区の親類の家で医療専門学校の受験勉強を始めた。
「女の子も手に職があったほうがいい」。将来の夢を描けずにいたとき、母が薦めてくれた職業が歯科衛生士だった。
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その親類宅ですごした最初の夜を、康一はよく覚えている。
二階の一室。きれいに布団が敷かれていた。横になり天井を見上げた。「そういえば、地震から一人になるのは初めてやな」
幾つかのシーンがよみがえる。たわいもない家族の団らん。夜中にトイレに立つと「あんた、まだ起きとるの?」と気にかけてくれた母。朝、台所に下りても誰もいないんやな。
ふいに感情がせきを切る。とめどなく涙が流れる。いつのまにか、深い眠りに落ちていた。
朝。現実は何一つ変わっていない。一階に下りる。やはり、父も母もいない。<不在>が全身に広がった。
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地震から二、三週間たった康一の最初の登校日に、<事件>は起きた。
帰り道。仲のいい友人が何げなく口にした。「親なんかうるさいだけやで。おらん方がええわ」
頭が真っ白になり、抑えていた感情が破裂した。組み付く勢いで怒鳴り返した。
「ほんまに親が死んでも同じことが言えるんか! 今度言ったらしばき倒すぞ!」
「そんな感じのことを言ったんじゃないでしょうか」。照れくさそうに振り返る康一。今でもその友人とは仲良しという。冷静で柔和な目の前の笑顔から、その光景を想像するのは難しかった。
今は慰めの言葉だったと理解できる。だが、当時は思った。「どうせみんな、こいつと同じや」
康一は心を閉ざした。
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四月、康一は高校に入学する。周囲が猛スピードで日常を回復しつつあるようにみえた。壊れた家、道路やビル。「そんなもの、直そうと思えば直るやないか」
当たり前のように高校に通っていたが、ふと喪失感が全身を覆う瞬間がある。
そんなとき、<悲しみのスイッチ>を入れた。「ああ、危ないと思うと、一人で海に行きました」
堤防に座り、行き交う船を眺める。全身の力を抜き、考えた。
「今、おれはどんな感情なんだろう」
自分の気持ちがうまく理解できない。サッカーボールを持ち出し、力いっぱいシュートを打つこともあった。
そんなことが週に二、三回。一年後は月に一回になった。二年後は二、三カ月に一回…。
地震から四年目、<悲しみのスイッチ>を入れることはなくなった。
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康一とは対照的に、愛子は淡々と現実に対処していった。周囲にはそう見えた。だが、三度目に会ったとき、こんな告白をした。
「実は初めてお話しすることがあるんです。先日、夫にも初めて言ってみたんです」
愛子は語り始めた。(敬称略)
2005/1/5