<あの日>の揺れを二人は覚えていない。
小学五年だった船山真奈(21)、四年だった祐二(20)の姉弟は二階で熟睡していた。隣で寝ていた母の静子(53)に起こされ、しぶしぶ目を覚ます。祐二の腹の上には天井の電球が落ちていた。
全盲の静子は、家が激しくきしむ音で「地震やな」と直感した。
三人は手をつないで、ぐらぐらになった階段を下りる。一階は食器の破片が散乱し、みそ汁がなべごと床に飛び散っていた。壁にあいた大きな穴から外の景色が見えた。
「なんやこれは」と祐二は驚く。「お父さーん」と呼び掛けると、「ここや」と返事がした。父の一雄=当時(49)=はこたつで横になっていた。
「すごく安心したのを覚えてます。地震で死ぬとすれば、下敷きになるとか、大きなものが頭に当たるとかだと思ったので」と祐二。
だが、船山家の苦難は地震の二日後から始まる。
◆
全盲の父と母が、体の感覚で覚えていた<町並み>は一変していた。
歩道にはがれきが押し寄せ、信号は止まっている。祐二はあちこち探検してみたい気持ちを抑え、真奈と一緒に両親の手を引いて避難所になっていた小学校に向かった。
体育館は、先に避難してきた人でごった返していた。やっとの思いで入り口近くに場所を確保し、四人は座り込む。
「寒い、寒い」。そう繰り返していた一雄は、何度もトイレに行きたがった。真奈と祐二が交代で連れて行くが、違う校区の小学校のため、いつも迷ってしまう。仕方なく、建物の影ですることもあった。
二人は次第に、トイレに連れて行くのを渋り始める。父はそれを察したのか、あまり「トイレ」と言わなくなった。
静子にも悔いがある。寒がる一雄のために、開いているスーパーを探した。三軒目にやっと見つけた使い切りカイロの小さなパック。全部を使いたいが、明日も手に入る保証はない。「これで我慢して」と二つだけを渡した。
「寒い、寒い」。そう言い続けていた父の姿を、姉弟は覚えている。
◆
十九日の午後八時すぎ。一人でトイレから戻った一雄は、避難場所のイスに座った途端、泡をふいてひっくり返った。
そばで寝ていた真奈と祐二は、周囲の騒ぐ声で目を覚ます。誰かが心臓マッサージを始めた。「呼びかけてあげて」と言われ、「お父さん!お父さん!」と繰り返した。
どれぐらい待ったのか。やっと到着した救急車に乗り込む。心臓マッサージが続く。
病院には患者があふれていた。かきわけて救急治療室に飛び込む。「お父さん、大丈夫だから」。女性の看護師が励ましてくれた。
不安な時間。やがて、扉から出てきた同じ看護師は告げた。
「お父さん、お亡くなりになりました」
急性心不全。「うそー、なんでー。それしか考えられなかった」と真奈。祐二は混乱した頭でこう思っていた。
「お父さんは強いから、きっと目を覚ましてくれる」
(敬称略、文中仮名)
2005/1/9