底冷えする夜だった。昨年暮れ、阪神・淡路大震災で父を奪われた別の姉弟と出会った。
「地震のこと、忘れてほしくないので」。長い黒髪が印象的な船山真奈(21)と、茶髪にぶかぶかズボンの祐二(20)は、取材を受けてくれた理由をそう説明した。
当時、真奈は小学五年生。祐二は四年生。目の前で起きた父の死を、夢の中の出来事のように感じてきた。
「お父さんはお母さんと離婚しただけで、本当はどこかで暮らしている-。そう思うようにしてきた」と真奈。「夢でもいいから、もう一度会いたい」と祐二。
十年。幼い姉弟には長い時間だった。
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二人にとって、今でもぬくもりがよみがえるほど鮮明な父の姿は、歩道橋での肩車だ。
父の一雄=当時(49)=と母の静子(53)は全盲だった。
幼稚園に入った姉弟の送り迎えは一雄の役目。「危ないから」と静子に止められていた肩車を、二人はよくねだった。
幹線道路をまたぐ歩道橋に近づくと、わくわくした。階段を上りきると、白いつえをついた父がしゃがんでくれるのだ。
先を争う二人。父は笑顔でひょいと抱き上げ、順番に肩に乗せた。
一七五センチはある長身。はるか下に車やバイクが見えた。
「あのころの私たちには、あそこが世界で一番高い場所でした」
昨日のことのように、姉弟は語る。
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父の若かったころを、二人は母から聞いた話でしか知らない。
神戸・新開地で生まれ育ち、四年間、自衛隊にいたという。だが二十代の後半、難病のベーチェット病にかかり、両目を失明した。
「そこから、お父さん、すごく頑張ったらしいです」と祐二。
大阪にある視覚障害者の訓練施設で針灸(しんきゆう)の勉強を始める。そこで、同じ訓練生だった長崎出身の静子と出会った。
針灸の国家試験に合格した二人は、その後、結婚。真奈と祐二が生まれると、神戸市西部に借家を見つけ、針灸院を開業する。白地に黒で「船山診療所」と書いた大きな看板を玄関先に掲げた。
家族四人のつつましやかな生活が始まった。
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神戸市東部の木造二階建て住宅を買ったのは、一九九四年の春だった。建築年数は「古年」。それでも一雄には念願のマイホームだった。
下町に溶け込み、それなりに繁盛していた「船山診療所」も移転しなくてはいけない。宣伝チラシに千円の割引券をつけ、JRや阪神の駅前で配った。小学生の真奈と祐二も付き添った。
「あのときは悔しかった」と祐二が振り返る出来事がある。
人の気配を感じると、頭を下げてチラシを差し出す父。その前を何度も行ったり来たりしてチラシを受け取り、すぐに捨てている大人がいた。そばで仲間が笑っていた。
「僕はへたれ(意気地なし)やから、なんもできんかった」と祐二。
男たちが立ち去ると、チラシを拾って父に手渡した。迷ったが、そのときの状況を伝えた。
「今度、そんなやつがおったら、ちゃんと言えよ」。父はそう告げると、再び雑踏と向き合った。
何日も、チラシ配りは続く。ちらほらと客が来始めた。
開業から九カ月後。震度7の激震が「古年」のマイホームを襲う。(敬称略、文中仮名)
2005/1/8