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 震災から十年。岸本愛子(27)には初めて口にする気持ちがあった。「伝えてみよう」と思ったのにはきっかけがあった。

 取材の途中、「こんな人がいますよ」と愛子に紹介したホームページがある。その夜、早速アクセスしてみたという。

 そこには、震災で一歳半の長男を亡くした母親の、子を思う気持ちが丁寧につづられていた。

 あの日、双子の兄妹を連れ、たまたま西宮の実家に里帰りしていたこと。いつもと違う場所に寝かせたこと。そこにタンスの引き出しが直撃し、長男だけを窒息死させてしまったこと…。

 「私が代わりに死ねばよかったと思い続けてきました」。母親は、そう記していた。

 親と子。立場も状況も違う。もし、自分が両親を失っていなかったら、「何もそこまで自分を責めなくても」と思っただろう。

 ただ、愛子にはよく分かった。「私もそう思ってた」。画面の活字を追いながら、涙が止まらなくなった。

    ◆

 愛子の場合はこうだった。

 地震の数日後、岡山の父の実家で両親の葬儀を営んだ。発展途上国を飛び回り、いつも陽気に笑っていたエンジニアの父。PTA役員やママさんバレーに積極的に参加していた頑張り屋の母。岡山まで多くの友人が参列し、涙を流しながら棺を見送ってくれた。

 クラス委員をしたり、生徒会に入ったりと、明るく振る舞っていた中学、高校時代。本当は、友達をつくるのが苦手だった。

 「本音を言うのが下手なんです。言葉が出かかっても相手の気持ちを考えてのみ込んでしまう。そんな繰り返しでした」

 友達がいるようで、いない。そんな自分の寂しさを見せないように生きていた気がする。

 「私が代わりに死ねば、こんなに悲しむ人もいなかったのに」-

 葬儀会場で不意に込み上げた感情は、「伝えても、相手が困るだけだと思っていました」。

 愛子はそう言ってほほ笑んだ。

    ◆

 自分の存在価値を見失いかけていた愛子を、二つの出来事が救ってくれた。

 高校の卒業文集。その中に「同じクラスになってよかった子ベスト3」というランキングがあった。愛子は女子の一位だった。びっくりして、何度も読み返した。

 地震から数カ月後。「みんな大変だから」と、誰にも震災の話をしなかった愛子は、避難先の家から中学時代の恩師にこっそり電話をした。両親が亡くなったことを恩師は知っていた。震災直後、愛子の自宅を訪ねてくれたという。受話器の奥の懐かしい声が言った。

 「泣きたいときは、しっかり泣かんとしんどいで」

 愛子の性格をよく分かってくれていた。心に染みた。

    ◆

 ホームページを読んだ翌朝。夫の裕充(40)にも伝えてみた。

 「へえ、そんなこと思ってたん?」。夫は少し驚きながら「全然思う必要ないんやで」と言ってくれた。

 長男裕真(3つ)と長女愛海(1つ)が台所を駆け回っている。いつもの朝の会話の中に自然に溶け込んでいた。愛子はうれしかった。(敬称略)

2005/1/6
 

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