写真は大学2年生の娘の、初めての運動会(当時1歳1カ月)。かわいい衣装は先生の手作りで、びっくりしました!
写真は大学2年生の娘の、初めての運動会(当時1歳1カ月)。かわいい衣装は先生の手作りで、びっくりしました!

子ども時代、苦手な教科は「体育」でした。
ダントツで体育。即答で、体育です。

体は硬いし、跳び箱は怖い。球技ではボールにもてあそばれ、徒競走はスタートのピストルで「ビクッ!」となっている間にビリ確定。
やっかいなことに背が高かったため、「背が高い=スポーツ万能」という偏見(?)が毎年度1回目の体育で満ちあふれ、バスケのチーム分けとなれば、わたしの運動神経を誤認する同級生たちから「萩原さんと同じチームがいい!」などと期待を寄せられ…

実際は、パスを出されないようボールを持っている人と極力目を合わせないという姑息なプレー(?)しか繰り出さず、「期待外れと思われてるんだろうなぁ…」という情けなさが、ますます体育への苦手意識を募らせるのでした。

そんな「体育嫌い」の子どもにとって、10月は恐怖の季節です。
そう、運動会シーズンだから…!!

なぜ、衆人環視のもと、運動のできなさをさらけ出さねばならないのか? なぜ、勉強会はないのに運動会はあるのか…!?

子どもながらにその理不尽さに憤り、運動会前日は大量にてるてる坊主をつくり、すべて逆さまにつるすという呪いを発動。願いもむなしく快晴となった当日、「時間よ、過ぎろ」と、うつむいて校庭の砂を見つめていたのを思い出します。

というわけで、親となり「運動会」に再会したときは心がざわつきました。
10数年ぶりに聞く「ザ・運動会」なBGMに、鳥肌。親子競技はすべて夫に任せ、「あのころのわたしのように、じっと砂を見つめている子がいるはず…」と思いをはせました。

3人のわが子は(なぜか)みな「体育大好き勢」。小2の次男は今も目の前で、運動会の学年代表あいさつを勝ち取ろうと笑顔で練習に励み、「親子とは言え違う人間だ…」と実感しています。

子どもたちの小学校では、「運動場にシートをしいて、家族でお弁当」という昔ながらのスタイルだったため、出場するわけではない保護者にとっても超絶大イベント。午前7時に「天候がイマイチなので、順延」と連絡をされてもとっくに弁当は作り終えており、半泣きで翌日も(完全に同じメニューの)弁当を作るのでした。

障害のある長男の入学後は、運動会を「そつなく、時間通りに」進行させねばと、先生たちも神経をとがらせていると知り、「いろんな人にとって大変な行事なんやなぁ…」と、さらに複雑な思いを抱いたものです。

そんな伝統の一大行事も、コロナ禍で一気に縮小されました。

アフターコロナの今も、「2学年ずつ入れ替え、ダンスとリレーのみ」。負担が大幅に減ったのはうれしいものの、現代の子どもたちは玉入れや綱引きなど、「得意、不得意にかかわらず、みんなでワイワイ楽しめる」「個人が評価されない」競技を知らないのだと気づきました。管理職の先生方に聞いてみると、学習指導要領の体育科に「表現」という項目があり、ダンスを玉入れなどに替えるのは難しいとか…。

「なぜ、わたしは体育が嫌いなのか」に興味をもってここ数年、新聞記事を読んだり、講演会で学んだりしてきました。日本は運動習慣のある大人が海外に比べて少なく、学校の「体育」との関係が指摘されているそう。ただ楽しむ、まわりと協力する…より、「個人の技能を高める」「数値で評価される」面が強く、体育がきっかけで運動に苦手意識を持ってしまった人は、その後もずっと、体を動かすこと自体、避け続けてしまう、と…。

そんなこんなで、10月末の小学校の運動会に向け、「子どもたちと保護者、先生で綱引きをしませんか!?」と、校長先生に提案してみました。今回は間に合わなかったため、PTAで学校の体育館を借り、来年1月にミニ運動会を開催することに。

運動会を呪いの儀式でつぶそうとしていた子どもが、40年後に運動会を企画するとは。
感慨を覚えつつ、運動習慣のないアラフィフ、久しぶりの綱引きで派手にけがをする予感しかせず、ちょっとは体を動かしとかなきゃ…と焦る毎日です。

▽萩原 真(はぎわら まこと)

【降っても晴れても すきっぷびより】は、すきっぷスタッフで元記者の萩原が、3人育児のドタバタや障害のある息子との生活で感じたこと、うれしいことから尽きない悩みまで本音満載でお届けします。