2021年9月1日、元神戸新聞記者で経済評論家・ジャーナリストの内橋克人さんが亡くなった。「市場ではなく人間が主語の、新しい経済を作らなくてはならない」と権力におもねらず、弱い人たちの側に立ち、発信を続けた内橋さんの功績をたたえるシンポジウム「共生と平和のジャーナリスト・内橋克人の目指した地平」(神戸新聞社主催、兵庫県立大学、NHK神戸放送局後援)が10月4日、神戸新聞松方ホールで開かれた。
(登壇者は、東大名誉教授の神野直彦氏▽元NHKプロデューサー棚谷克巳氏▽元岩波書店編集者の高村幸治氏。司会は神戸新聞特別編集委員の加藤正文。)
■弱い側に立ち解決の道筋指し示す
加藤 内橋さんの印象は。
棚谷 「クローズアップ現代」をはじめ、31本の番組にゲスト出演していただいた。常に弱い立場の人の側に立ち、権力におもねらず、問題の構造を解き明かすだけでなく、解決の道筋を指し示す姿勢を最後まで貫いた方だった。
高村 礼賛されていた「規制緩和」こそが日本社会を制御不能にした根本原因だと早くから指摘した。その一人闘う姿勢に共感し、著作集「同時代への発言」をまとめていただいた。書名の「『消尽の世紀』の涯(はて)に」「周縁の条理」など表現力が卓抜だった。
神野 それぞれの時代の経済政策について「それで本当に人間は幸せになるのか」という問いを発した。社会で最も虐げられている人の視点から真理を捉え、「千万人といえども吾(われ)ゆかん」という強い凛(りん)とした意思に基づいて異議を呈した。
加藤 内橋さんが神戸新聞の新人記者時代に先輩記者から言われた「記者三訓」がある。「必ず現場へ行き、自分の目で確かめろ」「上(権力・上司)を向いて仕事をするな」「攻める側ではなく、攻められる側に最後まで踏みとどまれ」だ。内橋さんの言論活動をどのように見ていたか。
棚谷 千里眼にはいつも驚かされた。非正規労働者が増えると貧困層の割合が高くなって国民の消費が減り景気後退の要因になる、低賃金から結婚できない人も増えて少子化につながると指摘していたことが、すべて現実になった。
高村 ドイツの児童文学者で反ナチスの姿勢を貫いた作家エーリッヒ・ケストナーの「賢さを伴わない勇気は乱暴であり、勇気を伴わない賢さなど何の役にも立たない」という言葉を胸に刻んで、社会的発言を続けられた。
■神戸空襲などの戦争体験が原点
加藤 阪神・淡路大震災が起きた時、国は「自然災害は自己責任。国として個人補償はできない」と明言したのに対し、内橋さんは被災者の救済を求める運動を後押しした。
内橋さんの原点と言えるのが神戸空襲などの戦争体験だ。戦争は内橋さんの思想に何をもたらしたのか。
高村 自伝的小説「荒野渺茫(びょうぼう)」のなかで、小学生の時に腸チフスで母を亡くし、神戸空襲で母親代わりだった「おばちゃん」を失ったことに触れている。肉親や親しかった人の理不尽な死、劫火(ごうか)のもとで死んでいった大勢の人たちの運命を自分の中に抱え込み、その人たちの命を預かっているという意識だった。だから二度と戦争をしてはいけないという思いが非常に強かったし、その引き金となるようなことに対して常に警鐘を鳴らし続けられた。
棚谷 番組で戦争体験に触れた内橋さんはスタジオで何度か声を詰まらせ、嗚咽(おえつ)をこらえながら話されていた。戦中のお上に異議を申し立てられない「頂点同調主義」は今なお日本社会に生き続けていると看破していた。
■それぞれの個性を持ち寄って地域で共生を
加藤 内橋さんは、新自由主義やマネー資本主義に対抗するものとして、共生に基づいた「FEC自給圏」構想を提示した。
神野 市場を野放しにしてしまうと、人間と人間との共生、人間と自然との共生、いわば人間が生存していくための前提条件を壊してしまう。内橋さんは、人間の社会で最も大切にしなければならないのは人間の命だと考えた。「生命主義」だ。人々が一緒に地域で暮らし、よりよい暮らしを作っていく「共生経済」につながる。それを作るためにはそれぞれが果たすべき主権者としての責任、すなわち「参加主義」が必要だとも説いた。
「共生経済」を地域に生み出す時の具体的なデザインが、「FEC自給圏」だ。望ましい社会を作るためには政府に頼るのではなく、国民一人一人が自分自身で役割を果たす覚悟を持たなくてはならない。
高村 「競争」には勝ち負けがあるが「共生」にはない。かけがえのないそれぞれの個性を持ち寄って地域で共生していこうという考え方だ。気候変動や戦争で人類は危機に直面しているが、FEC自給圏は人類の、日本社会の生き残る道としてとても重要な提言だ。
【リンク】特集「評伝・内橋克人~共生と平和のジャーナリスト」
■基調講演 元NHK「クローズアップ現代」キャスター・国谷裕子氏
内橋さんには「クローズアップ現代」に46回ご出演いただいた。出演前、放送で使用するVTRの視聴が終わると、内橋さんはいつもその日のテーマが投げかける本質的な意味について、私たちが「ほとばしり」と呼んでいた熱のこもった言葉で語り続けた。そこには常に社会的弱者、疲弊する地域への共感があり「人が人らしく生きていくためにある経済がなぜ人を苦しませているのか」と問い続ける姿があった。
1993年11月に「原則自由・例外規制」を基本とする「平岩レポート」が出され、バブル崩壊後の苦境にあえいでいた政財界は、規制緩和こそが経済成長を生み出すとして、その流れを加速させた。コスト削減に向け非正規雇用が増え、その一方で自己責任という言葉も広がっていった。
2006年11月放送の番組では、派遣労働者を個人請負に切り替えて労災保険料の負担を逃れる企業の実態を伝えた。内橋さんは「個人請負は究極のコスト回避。競争力のある商品を作って経済が栄えても社会は滅びる」と指摘し「労働の規制緩和がもたらしたのは、働かせ方の自由であって働き方の自由ではない」と厳しく指摘された。
内橋さんは、働くこと、暮らすこと、生きることを統合的に捉える新しい経済の必要性を求めるなか、Food(食料)、Energy(再生可能エネルギー)、Care(医療、介護、福祉)を地域で自給する「FEC自給圏」構想を提唱し、この三つこそ市場原理にゆだねてはならないものだと訴えた。いま、農産物の地産地消・加工、再生可能エネルギーの活用、地域でのケアの取り組みなど、その提案は着実に根付き始めた。時代が内橋さんの先見性に追いつこうとしている。
2010年代に入り、国際社会ではパリ協定など経済成長至上主義に一定の規制をかける動きも広がったが、近年、「強欲な資本主義」が息を吹き返している。こうしたときだからこそ、人間と自然が共生する経済、尊厳ある労働を一貫して語り続けた内橋さんを思い起こさなければならない。
























