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黒煙を上げる商店街や住宅密集地の火災=1995年1月17日午前9時50分、神戸市長田区海運町
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黒煙を上げる商店街や住宅密集地の火災=1995年1月17日午前9時50分、神戸市長田区海運町
災害に備える大切さを生徒たちに呼び掛ける柴田大輔さん=仁川学院高校
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災害に備える大切さを生徒たちに呼び掛ける柴田大輔さん=仁川学院高校

 阪神・淡路大震災で幼い弟2人を失った神戸市長田区の飲食店経営柴田大輔さん(34)が、兵庫県西宮市甲東園2の仁川学院高校で2年生約240人を前に講師を務めた。「災害時には誰も助けてくれないかもしれない。備えていれば助けられる命がある」。自身の体験からそう呼び掛け、普段から防災について考えておく大切さを訴えた。(浮田志保)

 1995年1月17日午前5時46分、柴田さんは当時7歳で、神戸市長田区海運町の木造2階建て集合住宅にいた。1階の一室で両親、弟2人の家族5人で寝ていると、2階の天井が落ちてきて全員が下敷きになり、そこに火が迫ってきた。

 弟の知幸(ともゆき)ちゃん=当時(1)=は即死だったとみられる。泣いていた宏亮(ひろあき)ちゃん=当時(3)=は助けられずに焼死した。

 柴田さんはパジャマ姿のまま近所の人に連れられ、近くの小学校に避難した。何も食べられず、後になって全焼の自宅跡で弟の遺体を見つけた。

 「目を見開いたまま半分焼けていた宏亮の顔を、今も忘れられない」

 離れ離れになった両親が助け出されていたと知ったのは1週間ほどたってから。母は弟2人が亡くなったことを知らずに病院へ運ばれており、どう声を掛けたらいいか分からなかった。

 ショックからかその後の記憶は曖昧になっている。父と離れるのが怖くて、学校にも行きづらくなった。

 その後、たくさんの人が支えてくれて18歳で消防団に入団した。29歳になった2016年、震災の経験を伝えるグループ「語り部KOBE1995」の一員となり、全国各地で震災の教訓を語り継いでいる。

 柴田さんは崩れた直後の自宅や、大火にのまれていく街、何もなくなった焼け野原など、当時の様子を写真で紹介しながら、生徒に向かって打ち明けた。

 「正直、何が起きたのか当時は分からなかった」

 その上で、普段から家族と一緒に避難場所を確認したり、水や食料の入った非常袋を準備したりしておくことが、どれだけ重要かを強調。「人とのつながりを大切にしながら、自分の命は自分で守ってほしい」と呼び掛けた。

 講演を聴いた女子生徒(17)は「当時の写真は、今のきれいな神戸からは想像できないものだった。人間がつくり上げてきたものを自然が壊すのは一瞬だと知った。防災の知識を深めて毎日を大切に生きていきたい」と話した。

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