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テレホンカードで公衆電話を利用する入所者=園田苑(撮影・斎藤雅志)
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テレホンカードで公衆電話を利用する入所者=園田苑(撮影・斎藤雅志)
災害時の公衆電話の有用性について語る中村大蔵理事長=園田苑(撮影・斎藤雅志)
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災害時の公衆電話の有用性について語る中村大蔵理事長=園田苑(撮影・斎藤雅志)
使用済みテレホンカードを再利用した小物入れ=園田苑(撮影・斎藤雅志)
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使用済みテレホンカードを再利用した小物入れ=園田苑(撮影・斎藤雅志)
神戸新聞NEXT
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 兵庫県尼崎市の特別養護老人ホームに1台の公衆電話がある。施設は電話会社から幾度も廃止を要請されながらも抵抗し、近隣の人々もテレホンカードをかき集めて存続を支える。一人一人の脳裏には、27年前の阪神・淡路大震災が焼き付いている。将来起こりうる巨大地震を見据え、施設運営者は力を込めた。「公衆電話は災害時に優先的にかかる。そのありがたみを伝えていきたい」(竹本拓也)

 この地域に公衆電話は何台あるでしょう-。

 昨年11月下旬。市内であった防災訓練の終わりに、施設運営者の男性は参加者たちにこう尋ねた。

 施設は、尼崎市小中島1の特別養護老人ホーム「園田苑」。人口約3700人もいる「小中島地区」にあるその数とは-。

 答えは5台。そのうち1台は園田苑にあるものだ。

 施設を運営する「阪神共同福祉会」理事長の中村大蔵さん(76)が強調する。

 「施設には24時間スタッフがいるし、バリアフリーにも対応している。停電時にも電話ができる。つまり、緊急時には施設利用者だけでなく、通行人でも誰もが使える電話なんです」

    ◇    ◇

 街角から公衆電話が姿を消して久しい。県内でも減少の一途をたどり、阪神・淡路があった1994年度に比べると、2020年度は8割減の5798台。尼崎市内では1台も見つからない駅も増えた。

 1988年にオープンした園田苑には緑色の公衆電話が2階と3階に1台ずつあった。地域に開かれた高齢者施設という役割をNTT西日本が重視して設置したという。

 それが震災から10年後の2005年、「利用額が低い」として撤去を要請してきた。設置者が維持管理費を払う「ピンク電話」と異なり、「緑電話」はNTTが支払っているからだ。

 ところが、中村さんは交渉の末に2階の1台を残してもらう。その後も「利用が少ないと廃止する」と担当者から再三、念押しされても抵抗を続けている。

 その理由は、27年前にさかのぼる。

    ◇    ◇

 阪神・淡路直後、園田苑は緊急物資の受け入れ拠点となった。

 中村さんは当時、施設長。市内の自宅マンションが半壊し、頭に裂傷を負いながらも、避難者を受け入れ、近隣におにぎりを届けて住民たちの避難生活を支えた。

 さらに、阪神間にある全ての高齢者施設の情報を取りまとめる役だった。被災状況、避難者数、救援物資の充足度…。行政に伝えるべき情報は膨大にあった。

 毎朝、県や市に報告し、午後から返事を受ける。国からの最新の支援情報も含まれていた。電話回線が不通になる中で、こうしたやりとり全てを支えたのが公衆電話だった。

 「公衆電話に固定番号があることも、震災が教えてくれた」と振り返る。

    ◇    ◇

 園田苑の1台は大半を硬貨ではなく、テレホンカードで賄っている。

 近隣の人々がその有用性に共感し、自宅で眠っているテレカを提供してくれるのだ。園田苑を応援しようと、金券ショップを回って入手して贈ってくれる人も現れた。その数は、この1年半だけで230枚以上。通話料に換算すると、11万5千円を超えている。

 「コンビニですら手に入らない時代なのに、本当にありがたい」。

 テレカは高齢者にとっても使いやすい。縦向きの穴に硬貨を入れる動作は意外に難しいが、一度挿入すれば通話に集中できる。

 施設で出た使用済みのテレカについては、地域の女性たちが小物入れとして再生してくれている。

    ◇    ◇

 中村さんは園田苑をはじめとする自治体指定の「福祉避難所」には公衆電話を常設すべきだと唱える。

 東日本大震災では、避難所に公衆電話が設置されると被災者の列ができた。しかし「被災者にとっては、その日から使えることが肝心」と指摘する。

 利用実績を伸ばそうと、きょうも公衆電話を使っている。ただ、携帯電話で受けると、着信画面に「公衆電話」と表示されるため「大半は不審がって1回では出てくれない」と苦笑い。

 それでも「なんで公衆電話からかけてるん?」と問われるたびに、人知れず喜びを感じるという。なぜなら、震災のこと、公衆電話のことを話すきっかけができるから。交流を続ける東北や熊本の被災者を通じて共感の輪も広がっている。

 「このありがたみは被災した者にしか分からないかもしれない。でも次の災害は確実に来る。ならば、過去の体験を伝えない手はない」

【公衆電話】1900年、上野駅と新橋駅に公衆向け「自働電話」がお目見えした。53年には店先などに設置する「赤電話」が登場。72年には100円硬貨も使える「黄電話」がデビューし、82年には「カード式公衆電話」が導入され、84年には93万4903台のピークに達した。だが、携帯電話の普及に伴って利用は低迷し、昨年6月には新幹線の公衆電話が廃止された。

 通常のダイヤル通話や緊急通報のほか、親族らに安否を伝える「災害用伝言ダイヤル(171)」の機能がある。

【特集ページ】阪神・淡路大震災

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