阪神

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震災当時の体験や、27年間の思いを語る岡田富子さん=川西市内
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震災当時の体験や、27年間の思いを語る岡田富子さん=川西市内
富子さんの息子を抱く母のフデ子さん(左)と父の薫夫さん(提供)
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富子さんの息子を抱く母のフデ子さん(左)と父の薫夫さん(提供)

 阪神・淡路大震災からきょう17日で27年となり、被災地となった阪神間でも、多くの人が在りし日をしのぶ。80歳だった育ての母親を失った兵庫県川西市の岡田富子さん(76)もその一人。子どもの頃、「まま母」に抱いた複雑な感情は自身も子育てを始めて変わり、震災後に増していく感謝の気持ちを天国に伝える。「お母さん、私も今年で喜寿。元気でやってるよ」(浮田志保)

 あの日、育ての母のフデ子さんは、1人で暮らす神戸市東灘区の文化住宅1階で寝ていて、2階の下敷きになった。

 富子さんは当時49歳。同県西宮市生瀬地区のマンションで暮らし、地震後にすぐ電話をかけたが、つながらない。夫と駆け付け、翌日午後になって部屋を探せるようになると、がれきの中にフデ子さんの脚を見つけた。

 倒れてきた柱で首を打って亡くなったらしい。きれいな顔を見たら、思い出が押し寄せてきた。

 富子さんは終戦直前に島根県で生まれ、物心が付く前に実母が病気で亡くなった。4歳の時に、父は自身と同じ洋裁師のフデ子さんと再婚した。

 「お母さんが来る!」。胸が高鳴ってバス停まで迎えに行き、夜の到着を待ちきれずにこたつで寝てしまったのを覚えている。

 しかし、再婚を機に父は大阪へ住み込みで働きに行き、両親のいない2歳上の女児も姉として家に来ると、女性3人の暮らしが始まった。フデ子さんは穏やかで怒ったことはないが、朝から夜まで働き、帰宅後は疲れ果てていた。

 そんな中、小学校の級友にからかわれた。「まま母の子」。傷つき、そう言われるのはフデ子さんのせいだと思った。それから甘えなくなっても、フデ子さんは何も言わなかった。

   ◇   ◇

 中学卒業後に大阪の食品会社に勤め、家を出た。20代後半で結婚。そして長男が生まれた時、自分の中で少し変化が生まれた。

 「おめでとう!」。フデ子さんが心から喜んでくれた。父が亡くなると神戸に来て1人暮らしを始め、子どもの世話をしてくれるようになった。

 長女、次男も産まれ、一緒に旅行にも出掛けるように。「こんなきれいな夕日は初めて見たわ。ありがとう」。富子さんは、城崎温泉でうれしそうに笑ったフデ子さんの顔を忘れない。

 「家庭って、こんなにも温かかったんだ」。そう思えるようになった時、震災が起きた。

 前日にも親族の葬儀で会い、夫と車でフデ子さんを送り届けたばかりだった。それが生死を分けたような気がして「あのまま自宅に連れて帰っていればよかった」と自分を責めた。

 それでも子どもたちが「おばあちゃん」と呼んで悼む姿を見て、天国には感謝を届けたいと思うようになった。子どもの頃はどこか心の距離があると感じていたが、遠足前にはスカートを手作りしてくれたり、正月には新しいセーターを買ってくれたりした。本当の母でない分、ぎこちなさはあっても、多忙の中で精いっぱいの愛情を注いでくれたのだと、今は優しい笑顔がよみがえる。

 富子さんもフデ子さんが亡くなった年齢に近づく。認知症予防に毎日欠かさず自炊をし、ラジオ体操に出掛け「自分のことは自分で」がモットーだった母を、最近は見習いたいと思う。

 今年も、西宮にあるフデ子さんの墓前に伝えるつもりだ。

 「命の限り精いっぱいに生きます。そちらに行くまで、待っていてください」

【特集ページ】阪神・淡路大震災

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