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大太鼓を持って踊る「琉鼓会」のメンバー(比嘉純也さん提供)
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大太鼓を持って踊る「琉鼓会」のメンバー(比嘉純也さん提供)
比嘉純也さん=尼崎市内
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比嘉純也さん=尼崎市内

 沖縄の日本復帰から、15日で50年。復帰の年に生まれた人は「復帰っ子」と呼ばれる。兵庫県尼崎市の沖縄3世らでつくる舞踏グループ「琉鼓会」のメンバー比嘉純也さん(49)も、その1人だ。「子どもの頃は『復帰っ子』と言われると、記念メダルをぶら下げているようで誇らしかった」。だが半世紀を経てもなお、沖縄の置かれた状況は厳しい。誇らしさで満ちていた心には年々、もどかしさが募っている。(浮田志保)

 旧盆の9月。沖縄にルーツのある人が多い尼崎市戸ノ内町では伝統芸能エイサーを踊る「道ジュネー」が営まれる。赤や紫の頭巾、黒と黄色の打ち掛けをまとう純也さんは、三線や唄に合わせて太鼓を鳴らし、足を大きく上げて踊る。

 復帰直後の1972年12月、尼崎市食満で生まれた。両親は沖縄出身。沖縄1世の祖父は養豚場を営んだ。実家周辺には沖縄出身者の養豚場が約10カ所あった。家には沖縄民謡が流れ、墓参りする清明祭(シーミー)の時期は毎年、親戚のいる沖縄へ家族で行った。

 小学生のころ、本や新聞にある「沖縄」の字はどんなに小さくても目に入った。自分にとって特別な場所。沖縄と聞くだけで胸がドキドキ弾んだ。

 ただ学校では沖縄について話せる友達はおらず、寂しかった。高校卒業後は、尼崎の設備会社に就職。そこで出会った沖縄出身者からは、なまりのない話し方から「ナイチャー(本土の人)か」と残念がられた。沖縄か本土か。アイデンティティーの悩みは成長するにつれて大きくなった。

 そんな時、19歳でエイサーに出合った。独特の衣装を身にまとい、体全体で舞う。沖縄への恋しさ、憧れ…。「イーヤーサーサー!」と大きな声を出すと、葛藤は吹き飛んだ。「これしかない」。仲間と琉鼓会を結成。沖縄とのつながりが、また誇らしくなった。

 復帰50年。自分は結婚して子に恵まれ、守るべきものができた。一方で「この半世紀で沖縄は何が変わったのか」と思う。沖縄の知人は「働き口がない」と嘆き、いまだ「基地のない平和の島」は遠いままだ。

 戦争を体験した沖縄1世たちは年を重ね、徐々に減ってきた。「何のための復帰だったのか」。その答えにたどり着くために、記憶を語り継ぐ責任を感じる。「自分にできるのはエイサーに携わり続けること」。沖縄の心をつなぎ、伝えていきたい。

阪神沖縄復帰50年
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