「家族全員大ファン」。長嶋さんとの思い出を語る梅田茂雄さん(左)と多美子さん=芦屋市大原町
「家族全員大ファン」。長嶋さんとの思い出を語る梅田茂雄さん(左)と多美子さん=芦屋市大原町

 日本球界が誇るスーパースターで、巨人の終身名誉監督長嶋茂雄さんが3日、肺炎のため89歳で亡くなった。巨人の定宿「ホテル竹園芦屋」(芦屋市大原町)で長く勤めた夫妻は、長嶋さんに「うめちゃん」「たみちゃん」とかわいがられた。「摩訶(まか)不思議な魅力がある人だった」。別れを惜しむ二人に、在りし日のエピソードを聞いた。(貝原加奈)

 同ホテル(当時竹園旅館)の末娘だった梅田多美子さん(77)が初めて長嶋さんに出会ったのは10歳の時。「お風呂どこ?」と聞かれて案内すると、「ありがとう」と頭をなでてくれた。「うれしくて母にすぐ報告して。家族みんな大ファンになった」

 ホームランを打った際の賞品だった野球盤で一緒に遊ぶよう誘ってくれたり、カメラをくれたり。取材が入ると「一緒に行こう」と連れ出してくれた。

 夫の茂雄さん(80)は中学時代、東京六大学リーグで大活躍する長嶋さんを見て野球を始めた。自身も1962年、春の選抜高校野球大会に出場し、偶然同ホテルに宿泊。多美子さんと出会い、その後、働き始めた。料理長として約20年勤め、長嶋さんと会う機会はあったが、「憧れを超えた存在。長らく口を利けなかった」

 昼は牛ステーキ、夜は魚。「どうおいしく食べてもらおうか」と考えるのが幸せで、いつしか「うめちゃん」と呼ばれるように。長嶋さんは特に野菜たっぷりのギョーザが大好きで、「うーん、うめちゃんギョーザ、うめちゃんギョーザ」と喜んで食べてくれた。21個を勢いよく平らげたこともある。息子に「ミスターがおいしいと言ってくれたギョーザを残そう」と言われ、「うめちゃん餃子(ぎょうざ)」として商品化。長嶋さんの自宅の冷凍庫には必ず入っていたという。