老後の蓄えだった1千万円は、詐欺師たちに暗号資産(仮想通貨)へと換えさせられ、露と消えた。
始まりは、兵庫県西宮市の松田恵子さん(59)=仮名=にかかってきた一本の電話だった。「あなたのキャッシュカードが犯罪に使われています」。警察官や検察官を名乗る男が代わる代わる登場し、まるで「刑事ドラマのような出来事」が繰り広げられた。脅し、寄り添い、なだめ、すかし…。疑念はあったが、巧妙な手口にからめ捕られ、虎の子の蓄えを失った。
昨年11月8日の昼過ぎ。滋賀県の実家に帰省していた恵子さんのスマートフォンが鳴った。ちょうど両親と買い物から帰宅したばかりで、かばんの中にあった。普段は知らない番号は出ない。だが、母に「携帯が鳴っている」と言われ、慌ててボタンを押した。
「警視庁のカミヤです」。男がそう名乗った。「あなた名義のキャッシュカードが、秋田県の火事現場で見つかった。そのカードが詐欺に使われており、至急、秋田県警まで出向いてほしい」
突然の電話に、違和感がなかった訳ではない。だが「秋田」という言葉に、はっとした。先月、夫と旅行したばかりだった。キャッシュカードは楽天銀行のものというが、身に覚えはない。何者かに自分名義のカードを作られた? 旅行した際にトラブルに巻き込まれた? とにかく「詳しく話を聞かなければ」と思った。
すぐには行けないと伝えると、電話は秋田県警の担当刑事という男に転送された。出たのは「県警本部刑事部捜査2課」のオオクラを名乗る、穏やかな声で話す男だった。そのオオクラに、特殊詐欺事件の関係者として浮上している、と告げられた。
事件の概要はこうだった。海外にも拠点がある大規模なグループの犯行で、マフィアや反社会的勢力も関わっている。被害総額は数兆円に上り、警察は1年以上にわたって限られた人間で捜査をしてきた。
被害者の中には自殺した人もおり、警察の協力者の一人は自宅に押し入られて暴行を受けた後、火を付けられて死亡した。その現場から、恵子さんのカードが見つかったという。
そして先日、主犯格の男が逮捕された。ニシザキといい、取り調べの中で恵子さんの写真を指さし、「キャッシュカードを46万円で買い取った」と供述した。その口座に詐欺でだまし取った金が振り込まれると、報酬として10%を恵子さんに支払う約束をした、と。
供述を基に防犯カメラの映像を調べると、ニシザキが恵子さんの住む西宮市を訪れていたことが確認された。口座にはだまし取られた計6千万円が振り込まれており、既に19人から被害届が出ている。オオクラは言った。「あなたは被害者ではなく被疑者です。このままでは逮捕されます」
恵子さんがいくら否定しても無駄だった。「逮捕されれば被害届1件につき22日ほど勾留され、1年以上拘束される。家宅捜索や資産凍結など強制捜査の対象になる」と詰め寄られた。
一方で、オオクラは冤罪(えんざい)の可能性もにおわせた。「犯人でなくても逮捕されることは、世の中にいくらでもある。何らかの理由で恵子さんの名義が使われているなら、全力で潔白を証明しないといけない」
死人も出ている凶悪事件に巻き込まれ、容疑者として疑われている。恵子さんの思考は「課題解決モード」に切り替わった。「捜査に協力して全力で嫌疑を晴らさないと、えらいことになる」。相手の術中にはまった瞬間だった。
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恵子さんは30代まで、社会福祉士として、犯罪被害に遭ったり、生活に困難を抱えたりする母子の相談員を務めた。詐欺に遭うまでは「自分がだまされることはない」と思っていた。証言をたどり、劇場型の特殊詐欺に取り込まれていく心理を探りたい。(土井秀人)
























