太平洋戦争で2度の空襲に見舞われた姫路市。終戦後、大手前通りなどの幹線道路をはじめ、社会インフラの整備でまちの復興を進めた。朝鮮戦争の特需で、鉄鋼、化学などのメーカーは息を吹き返し、同市は播磨臨海工業地帯の中核都市として発展を遂げた。市内の工業出荷額は1950年の176億8千万円から、65年には2518億円へと14・2倍に跳ね上がった。
■初日は7万7千人
高度経済成長で市勢を伸ばしていた62年、姫路城の「昭和の大修理」完了を記念する博覧会開催の構想が浮上した。播磨地域の中心都市としての姫路を内外にアピールしようと、66年4月3日、「姫路大博覧会」を開いた。テーマは「あすの日本の夢つくる」。会期は6月5日までの64日間だった。























