体験を記した著書を手にする秋一番さん。手前は、SNSで使用している自身のキャラクター=大阪市内

体験を記した著書を手にする秋一番さん。手前は、SNSで使用している自身のキャラクター=大阪市内

 3月のテーマは、強いストレスによって日常生活に支障が出るほど心身に不調が表れる「適応障害」です。語ってくれたのは、ミニ書籍「入社式当日に適応障害になり、入社二日目にして会社を休み病院へ連れられて行きました。」の著者「秋一番」さん(25)。兵庫県の私立中・高・大学で学び、現在はシナリオライターや塾講師などをする秋一番さんに聞きました。

 -著書では、中学時代の出来事が適応障害に関係していると記しています。

 「もともと友達をつくるのが苦手なタイプ。中学受験で大阪から兵庫の学校に行くことになり、新しい環境に不安を抱えながら入学したら、すぐに嫌がらせを受けました。クラスで嫌われ、成績が落ちて家では親から厳しく言われ…。眠れないし、学校が近づくと頭痛がして熱も出ました」

 -それからは?

 「嫌がらせは話し合いなどで収まりましたが、自分の性格を変えなければと思い、冗談を言って明るく振る舞うようにしました」

 「家族はみんな勉強しろと言いました。勉強は好きではないけれど、他にやりたいこともなくて。『成績良いキャラ』みたいになって、勉強しておけばクラスでも家でも居場所が保たれると感じ、大学まで頑張りました」

 -電力関係の会社に就職してすぐ適応障害に。

 「入社式当日の研修中、急に手が震え、涙があふれそうになりました。嫌なことがあったわけではなく、新しい環境で失敗する恐怖があったのだと思います。退社後、いくつかバイトをしましたが、環境が変わるごとに体調が悪くなり、うまくいきませんでした」

 「適応障害と診断後、1年半ほどはほとんど誰にも打ち明けていません。『レールから外れたらあかん』という考えに縛られて生きてきたし、みんなが今までみたいに接してくれなくなると思って…。でも実際、何人かに話したら、心配したような反応じゃなかった。この年になってようやく自分の持っていた偏見から逃れられたと思います」

 -今は?

 「フリーランスでシナリオを書き、声優の修行もしています。塾講師のバイトは、塾長が病気に理解があって続いてます。今は、病気してからの人生の方がおもしろい、と思える。自分がやりたいことに向き合えていて、悪かないな、って思っています」

(聞き手・中島摩子)