自助グループで取り組んだギャンブル依存症からの回復プログラムを振り返るうっちーさん=尼崎市内

自助グループで取り組んだギャンブル依存症からの回復プログラムを振り返るうっちーさん=尼崎市内

 6月のテーマはギャンブル依存症です。学生時代から20代後半にかけ、借金をしながらパチンコや競艇にのめり込んだ会社員の「うっちーさん」(37)=伊丹市=が語ってくれました。

 -きっかけは?

 「高校3年の時、友人にパチンコに誘われました。運良く数千円が数万円になり、『簡単なんだ』と感じたのが最初です。大学進学で1人暮らしになると、勉強よりもギャンブルがメインになり、夜な夜な賭けマージャンをし、昼間はパチンコやスロットをしていました」

 -なぜ?

 「もともと僕は、人から良く思われたい気持ちがあったと思います。高校まではそれなりに勉強ができましたが、大学から落ちこぼれみたいになって…。受験に失敗したコンプレックスもありました。そんな中、周りから『すごい』と言われ、認めてもらえるのがギャンブルでした」

 「自分には才能があると思っていましたが、負けが込むようになりました。親からの仕送りやバイト代、奨学金を使い、学生ローンを借り、家賃も滞納しました。どうにもならなくなって母にカミングアウトし、家賃や借金を尻ぬぐいしてもらいました。母は泣いていました」

 -大学を卒業し、就職しました。変化は?

 「ギャンブルはもうやらない、と考えていましたが、同僚にパチンコに誘われ、『ちょっとぐらい』との気持ちでまた始めました。早々に借金するようになり、常に200万~300万の借金がある状態。結婚が決まると、『結婚式までに借金をゼロに』と考え、競艇につぎ込むようになりました。ギャンブルのことはパートナーは知りませんでした」

 「競艇はスマホでできたので、仕事中にトイレで(舟券を)買ったり、結婚式の衣装合わせの途中で買ったり…。順風満帆だと振る舞いながら、裏では借金が膨らんでいきました。誰にも相談できず、競艇であてて返すしか道はないと思い込んでいました。結局、パートナーに打ち明け、借金返済の一部を立て替えてもらったのですが、またギャンブルをしてしまい、結婚はなくなりました」

 -その後は?

 「8年前から自助グループに参加し、そこでは自分の弱い部分を話すことができます。僕は依存症という病気なのだと、認めるようになったことも大きいと思います。生き方を見直す回復プログラムもあり、ギャンブルは止まっています」

 -現在は「ギャンブル依存症問題を考える会」で当事者支援の活動もしていますね。伝えたいことは?

 「僕も孤独でしたが、正直に話してみたら、世界が開けることがあると思います。とにかく一人にならないでほしいです」(聞き手・中島摩子)