話し方教室の教本を手に体験を語るシンジさん=神戸市内

話し方教室の教本を手に体験を語るシンジさん=神戸市内

 9月のテーマはあがり症です。人前での発表やスピーチが苦手で、仕事を辞めざるを得ないほど悩んだ経験がある会社員の「シンジさん」(52)=神戸市灘区=が話してくれました。

 -いつから意識を?

 「その場面を鮮明に覚えています。小学5年ぐらいの時に合唱の練習で1人で歌い、声が大きく震えたんです。自分でも驚くほどで、周囲からくすくす笑い声が聞こえて。それまでも日直のあいさつなど人前で緊張する場面は苦手でしたが、その時からすごく苦痛に感じるようになりました」

 「中学校になると異性を意識し始めるし、あがり症が一層強くなりました。緊張すると赤面して、汗がたくさん出てくるんです。授業で手を挙げるのも苦手。また失敗するのではないかと、何事も一歩引いて考えるようになりました」

 -卒業後も悩みが。

 「パソコンに興味があり、ソフトウエア機器の会社に勤めました。やりがいはあったのですが、朝礼の3分間スピーチがしんどかった。自分の順番が回ってくると、どう逃げようかと考え、午前中の仕事を早めに入れたりもしました。ある時、スピーチで大きく詰まり、笑いが起きました。『これはアカン』と思いました。上司には止められましたが、会社を辞めました」

 「しゃべるのが嫌なら工場勤務なら大丈夫だろうと思い、職を探しました。電気機器関連の工場に就職できました。ただ、ここでも2、3カ月ごとに順番でスピーチがありました」

 -再び苦手な場面です。

 「その頃、あがり症の人向けの講座があると知り、通い始めたんです。皆で発声練習や柔軟体操、スピーチの練習をします。『同じあがり症の人がこんなにいるんや』と驚きました。教室では失敗してもいい。支え合える仲間と出会い、少しずつ自信がついた気がします。会社でのスピーチも、以前のように逃げようと考えなくなりました」

 -今も教室通いを続けています。

 「一時期は四つの話し方教室に通いました。今も『神戸スピーチサークル』など2カ所に通っていて、ベテランの立場で会を引っ張る機会が増えました。話し下手であがり症は相変わらずです。でも、今は『少々失敗しても、またサークルへ行って頑張ろう』と思えます。新しく入ってくる人にも、そんな思いのバトンを渡したいです」(聞き手・岩崎昂志)